嗚呼、Mac ―アルマイトの栞 vol.40
なんだか3、4年に一回くらいのペースでMacの酷いトラブルに出くわしている気がする。この頻度は多いのだろうか少ないのだろうか。ともかくある朝、突然Macが起動しなくなっていたのだ。ほんの5時間くらい前には機嫌好く働いていたじゃないか。なぜまた突然、よりによって朝一番でこうなるのか。とにかく起動音は鳴ったものの、モニタには「?」のアイコンが点滅している。初めてみる現象だ。ウチのMacがこうなる時にはいつも共通点がある。朝一番で、しかも僕は出がけなんだ。ゆっくりトラブルに付き合っている暇の無い時にこうなる。
帰宅して、ともかく鬱々とした気分でマニュアル本を取り出し、トラブルシューティングの項目に目を通していく。そう云えば、もうだいぶ以前に所有していたMacのトラブルシューティングの専門書があった。その冒頭には確かこんなことが書かれていた。「まず、いつもと違うMacの触り方が出来ると思ってワクワクしましょう」。誰なんだ、この脳天気な野郎は。こっちは仕事が滞ってドキドキだと云うのに。
この種のトラブルに出くわす度に思う。これだけパソコンってものが普及して、それが無ければ仕事にならないと云う状況下で、僕らの「仕事」と云うものは何処に存在してるのだろうか。この「白い箱」が使えなくなるとかなりの仕事が滞るってことは、実は僕らの仕事って所詮はこの「白い箱」の中に大半が入っていることなのではないか。その時「自分」は何処に存在するんだ。何か「仕事の外側」に疎外されているような気がするのだ。「仕事」と「自分」の間には何か得体の知れない断絶のようなものが横たわっているように思う。ともかく繰り返すが何も出来やしないのだ。調子の悪くなったペンを買い換えるようなわけにはいかない。なんだか理不尽である。
結局、Macは自力復旧がかなわず、Appleのサポートセンターに電話を掛ける羽目になり、そしてあっさりと「修理センター送り」が決定した。しかしサポートセンターの女性担当者が気になることを云うんだよな。「ところでお客様、最近iTunesで何か楽曲を購入されましたか?」。この質問って、今回のトラブルと何か関係があるのだろうか。「いいえ」と答えると「わかりました」。いったいあの質問は何だったのか。ほんの束の間の雑談だったんだろうか。「何かお勧めの曲ってありますかねえ」くらい云えば好かったのか。それとも彼女は疎外感に打ちひしがれている僕の気分を和らげようと音楽の話を切り出したのか。確かにMacは仕事の道具だけではないからね。
戻って来たMacはハードディスクの不具合とやらで、ディスクが交換されていた。つまり「空っぽの別人」になって帰ってきたわけである。これはこれで面倒である。つまり失われたデータもあるわけだ。何よりも一番痛いのはアドレス帳のデータが完全に失われたこと。実体の無い「データ」ってやつのその存在の無情さを教えてくれる状況だ。そしてチマチマとアドレス帳のデータを復元しているこの頃である。そんなわけで皆さん、この文章を読んでくださったら空メールでも何でも構いません。ユキ宛にメールをください。
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