茫然とする ―アルマイトの栞 vol.196
ふと手に取った千葉雅也さんの『別のしかたで 』は、副題に「ツイッター哲学」と記されているから、Twitterに関する哲学的な論考だろうかと思って本を開くと、奇妙に長い目次のような文字群が先ず目に入り、パラパラと目次を眺めるつもりでページを繰ると、何やら様子がヘンなので、あらためてページを凝視したら、千葉雅也さんのツイートだけが並んでいる本だと判って驚いた。驚きながら目にしたツイート「今日の夕食、とんかつ屋でメインのとんかつに手を付ける直前に、豚汁と漬け物とご飯だけをちょっと頂いてみた短い時間がとても幸福だった。」は、まるで尾崎放哉の自由律俳句かとも思い、ワケの判らぬまま読み耽ってしまった。
なにせ、総ページ数207のうち、「あとがき」を除く199ページ全てが、ツイートを並べるだけの手法で構成されているのだから、やはり茫然とするほかないわけで、そのうえ、そのツイートに「方法論の本が好きだ。その方法で為すことよりも、方法群を並べることに耽溺する。幾人もの違ったデカルトを、ヴァレリーを並べる。幾つもの違った決意を、ドヤ顔を並べる。」などと書かれており、方法論の類の本は、確かにドンナものであれ、つまり「著者のドヤ顔」なんだと云う真理まで教示されてしまうから、こうして並んだツイートの群れが箴言集のようにも見えてしまい、死んでも方法論など書いてはイケナイと心に刻むわけだが、何の方法論も確立していない自分が心配する必要は無いのである。
けれども、千葉さんの別のツイート「仕事がうまく進まない、そう感じたときは、行き詰まった、と思うのではなく、行き詰まりを『感じている』と思うべきだ。問題は、まずもってその『感じ』からの回復である。」などは、カルロス・カスタネダの『ドン・ファンの教え』みたいで、すると千葉雅也さんはヤキ・インディアンの社会に入っても「知者」として周囲の尊敬を集める呪術師だから、その千葉さんが呟く「質がよくて雑味なく甘いウニよりも、かえって多少ミョウバンの苦味があるウニの方がいいのではないかと思うことがある。」は、ミョウバン処理されたウニを乾燥させて長いキセルで火を点けて吸ったら、光り輝く精霊の世界が見えると云う教えではないかと思うので、これは試すべきだろう。
そもそも、短文であるツイートを大量に並べて本を構成する手法が「ビート文学」を思い出させ、この本は「ビート哲学」とでも呼ぶべき新ジャンルではないかと気付き、やはり千葉雅也さんはウニに火を点けて吸いながらツイートしてるに違いなく、大変に金のかかる作業で、自分のような者が安易に手を出すと瞬く間に破産するから、「ちょっと試しにウニを吸う」あたりで踏み留まり、どうしてもウニの力を借りて文章を書きたいなら、残る手段として思い浮かぶのは、馬鹿者の友人が教えてくれた「プリンに醤油をかけるとウニの味」なのだが、そこから哲学は生まれそうになく、「やはりプリンでしかないと思っても一人」とか云う自由律俳句まがいのタワゴトを書き散らして友人たちに心配される。
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