ふぬけになる ―アルマイトの栞 vol.169
舞踏家の細田麻央さんが出演するイベントの告知を聞き、映像家の大津伴絵さんが「記録を撮影しますよ」と申し出て、それに引きずられて自分は「撮影助手」と称して出掛け、会場に設置した二台のカメラの一方の後ろでボンヤリと立ち、休憩時間には三人で煙草を吸いに会場の外へ出た。すると、休憩して煙草を吸ってるだけの行為が、なんだか路上パフォーマンスみたいな光景になる不可解さで、それも致し方ないのは、街中で、白塗りをした巫女装束の喫煙者に出くわす確率が極めて低いからだ。大津さんも同じように思ったのか、気付けば、くわえ煙草のままカメラを回していた。密着取材の光景まで現れる。
その様子を傍観していたら、「この映像も『galacta』の素材に使えるね」と、麻央さんか大津さんか、コトによると二人が揃って口走った。YouTubeで二作目まで公開した麻央さんの映像公演『galacta』の話で、このコトバの背後に「三作目以降は、まだ?」と、ノロマな自分に対する催促を感じ、トッサに何も云い訳を思い付かず、「カメラのズーム機能と逆の機能って、光学的に可能かなあ。狭い会場で便利だよねえ」と、自分でも何を云ってるのか不明な発言をした。この日の会場が狭かったのは事実だが、だからと云って、いきなり発明家を目指している場合ではないのである。『galacta』の映像編集を大津さんと一緒に進めるべく、自分がサッサと音の準備を済ませないといけない。
そもそも、予定していた『galacta』の最後の撮影が悪天候に阻まれて延期を繰り返し、撮影が全て終わるまでは、音の作業についても何だかんだと勝手な口実を作って先延ばしにしていたのだが、ようやく先週になって最後の撮影が済んだ。悪天候による延期を、あまりに何度も繰り返したせいか、全ての撮影が済んだ達成感は並々ならぬもので、つい尾崎放哉の「夕の鐘 つき切ったぞ みの虫」の句を思い出してしまったほどだ。もう、蓑虫だろうと何であろうと、「撮り切ったぞ」と告げ歩きたい達成感で、勢い余って、撮影が終わった夜、そのまま撮影関係者全員で打ち上げなんぞをしてしまった。それが好くない。過度の達成感の翌日には、誰しもが「ふぬけ」になるのだ。
けれども、自分が「ふぬけ」になっている一方で、麻央さんと大津さんは「ハイ」な状態のままなのではないか?。現に、イベントの休憩中にまでカメラを回し、「使えるシーンが増えた」と喜んでいるわけで、ふぬけの自分が音の作業を放置するほど、素材映像の尺が情け容赦なくドンドン増える。そう云えば、先週の打ち上げでもカメラが回っていた。「YouTube 尺が増えたぞ みの虫」と句を詠んでしまうくらい追い詰められた自分だが、肝心の蓑虫が見当たらない。もう随分と長いこと蓑虫を見ていない。何の話をしているのだ。観念して、音を並べる作業に戻るほかなく、ただ、蓑虫でも構わないから、作業中の相談相手が欲しい。「蓑虫を探してきます」と妄言を残して失踪しようか。
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