色の残し方 ―アルマイトの栞 vol.121
鈴木一琥さんのダンス公演『3.10』はどうにか終演。御来場頂いた皆さま、ありがとうございました。それにしても、照明の色が気付けば赤系統ばかりになっていた。「意識的に無意識」な照明プランを作ったら、そのようなことになった。どうも、放っておくと自分は赤系の色を選ぶ傾向にあるらしいのだが、『3.10』公演の一週間ほど前に映像作家のOさんと一緒に作業した映像編集が影響したような気もする。半村良さんの作品にちなむ場所を歩いて撮影した映像をコラージュ風に編集することを試みる中で、赤系統の色だけを残すシーンを混ぜてみたりする実験を延々と繰り返していたのだ。気付かぬうちに映り込んでいた派手なピンク色の家がいきなり目立ったりする。どんな趣味の家なのか。
舞台の演出で「このシーンはオレンジ色のイメージ」などと云う話になれば、ともかくオレンジ色のフィルターを照明に入れてしまうわけで、それは差ほど複雑な作業ではない。もし、そのオレンジの光を特定の部分にだけ当てたいのなら、照明の向きや光の絞り方で調整してしまうだけのことだ。灯具の数を多く使える舞台なら、もう少し話は複雑になるものの、基本は同じである。それは、決して「舞台照明は単純だ」と云う話ではなく、カラーフィルターを使う限り、その種類がそれほど多くないからで、もし「赤」「緑」「青」の三原色光源を個別に微調整できるデジタル照明器具であれば、いつまでもアタマを悩ませることも可能だ。無闇に自由が利くことは、悩みが無限になることと同じである。
「デジタル」な色調整の作業であったとしても、それが写真であれば、もう少し悩ましさは減る。写真は、動かない。堂々と口にするのも憚られるほど当然のことだ。映像も舞台も、「相手」は動き回るわけで、光の当たり具合や影の様子は一方的に変わっていく。ある瞬間に美しく見えた赤系の色が、次の瞬間には何やら間の抜けた光景になったりもすれば、「そんなものが目立ってどうするのか」と云う光景になることさえある。Oさんと映像編集をしながら赤系の微妙な色を狙って残すシーンの挿入を試みたら、電車の先頭車両上部で光る表示灯の「下高井戸」が突出して残った。まるで下高井戸の街並み紹介番組だ。旅番組を作っているわけではない。
道具の機能が自由自在を許すがゆえに、なかなか思うようにならない状況に陥り、Oさんが映像編集ソフトのマニュアル本を引っ張り出してきた。二人でその本に見入って、別の方法を試してみたら、なぜか赤系の色だけが抜けてしまったりする。やっていることが映像学科の一年生である。些細な作業で足踏みし、本質がおろそかなまま「課題提出日」になってしまうパターンだ。そんなことではマズイので、他の部分の作業に手を付けたが、色の課題を棚上げしたことに変わりはない。このまま編集で解決できなければ、映像を観る人にカラーフィルターの入った眼鏡を掛けてもらおうか。勝手に「3D映像」に見える可能性もある。
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