希望の装備 ―アルマイトの栞 vol.120
公演本番の一週間前になって告知めいたことを書くのもどうかと思うが、今年もTetra Logic Studioは鈴木一琥さんのダンス公演『3.10 10万人のことば』の舞台照明を担当します。この公演の照明を担当するのは今年が三回目だ。会場となるギャラリー・エフのサイトの公演案内には昨年の舞台写真が掲載されて居り、写真家のダイトウノウケンさん撮影のカラー写真を最初に見たとき、驚くほど美しいその光景に、多重露光の写真なのかと思ったが、どうやらそれは自分たちが作った明かりで、自分たちの手掛けた照明を一年後に見て自分で感動すると云う、えらくマヌケな状況である。見えないのですよ、公演中の舞台が、自分の作業位置からは。
会場で照明プランを確認する作業のときは、何度も客席に降りて自分の目で明かりの様子を見てはいる。しかし、キッカケ稽古を含め、舞台が進行している状況では見ていない。自分が客席に降りて行ってしまったら、照明パートの自分の担当セクションが無人になってしまう。個々のシーンの明かりを固定した状態までは見ているものの、照明のシーンチェンジの様子は見に行けないのである。じつのところ、自分の目で最も確認したいのがシーンチェンジの様子なのだが、考えてみれば、照明を担当した過去二回の『3.10』についても、その様子を自分で見ていない。と云うか、繰り返すが、見えないのだ。見えないまま照明の操作をしていると云うのも、無謀である。三年目に云うのもなんだが。
けれども、もしや潜水艦を操る乗組員も、やっていることは同じなのではないか。窓、無いですよね。外の様子が見えないまま海深く潜って進まなければならない。誰が潜水艦などを発案したのか知らないが、随分と無謀な乗り物を造ったものである。潜行中の潜水艦の乗組員たちは、外の様子を見ながら操縦したい衝動に駆られたりしないのだろうか。「方向転換するときくらいは、やっぱり外が見えたほうが安心だよね」などと思いそうなものだ。しかし、映画などで観る限り、潜水艦の乗組員たちは音波探知機を頼りにしてテキパキと航行操作をこなしている。周囲の状況を目で確認できないとなれば、次に頼りになるのは音だ。
となると、やはり『3.10』の照明操作を担当することは、潜水艦的作業である。じっさい、キッカケの頼りにしているのは音なのだ。舞台が殆ど見えない状況では、スピーカから会場に流される音を聞いて照明を操作するよりないわけで、だから、聞こえる筈のない音が聞こえたときの胸のザワメキと云ったら尋常ではない。昨年の本番中に、一琥さんがウッカリと一つの小さな照明器具を蹴り落としてしまった。床に何か重たい金属が落ちたような音が聞こえたそのとき、何が起きたか判らず、舞台の様子を目視確認したくて仕方なかったが、ジッと終演まで堪えた。あれは心臓に好くない。今年の公演もきっと潜水艦的作業の舞台照明である。せめて潜望鏡くらい装備させてくれないものか。
Comments