Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

ビートルズと舞踏 ―アルマイトの栞 vol.7

BEATLS

ぶらっと珈琲を飲みに入ったカフェの店内でビートルズの曲が流れていた。 「デイ・トリッパー」のオリジナルバージョンを聴いたのは随分と久し振りのことだ。 中学生の時に何故か友人の間でビートルズが流行り、僕も一緒になって聴いていたので、ビートルズの曲はこの時期の記憶に繋がるものが多い。「イエスタディ」はギターで練習したな。思春期の恥ずかしい思い出の一コマである。

音楽と云うのは記憶と強く結びつきやすいようで、ある時期に集中して聴いていた曲ほどその当時の記憶が映像的に蘇ってくる。時にはその場面の中での自分の気分まで。そうかと思えば、その記憶と現在の自分が手を結んで新たな思考を巡らせる切っ掛けにもなる。

今でもたまに聴くビートルズのアルバムは『マジカル・ミステリー・ツアー』である。このアルバムに収録されている「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の二曲は僕の中にえらく強烈な記憶の映像を呼び覚ますのだが、その記憶は舞踏の公演なのである。

1993年のことで、僕が和栗由紀夫さんの舞踏カンパニー「好善社」で美術を担当していた頃である。もう無くなってしまった舞踏の砦「アスベスト館」で「好善社」の公演があった。作品タイトルは「ともだち」。若手ダンサーを中心に据えた一種の稽古場公演だった。美術は僕で、和栗さんから「マーク・ロスコの絵を模写しろ。模写とは云え、オマエのロスコを描け」と難題を突き付けられた作品である。

その舞台で使う楽曲の中に、和栗さんが「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を入れた。今でこそ舞踏の楽曲に電子音の曲やロックが流れることは珍しくないが、何となく当時は未だ「舞踏はクラシック音楽」みたいなイメージの方が強かった。だからビートルズと云う選択は僕にもかなり意外で、ダンサーの中には当初、多少の抵抗感を覚えているらしい人も居た。

しかし結果として、僕にはこの作品の中で「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を使ったシーンが最も印象に残ったのである。比較的コミカルに振り付けた明るいシーンである。稽古を含めて何度見ても、このシーンが好きだった。そして今以て、この二曲を聴くと僕の中ではあのシーンが繰り返し蘇ってくることになり、この体験を境にして僕にとってはビートルズの曲である以前に舞踏の曲になってしまったわけである。完全に後先が逆である。

「クラシック音楽を使っていれば無難」と云う保守的な舞踏作品に安住するよりは、それ自体が実験精神と反骨精神に富んでいたビートルズを「乱暴に」導入する方が舞踏の本来の精神に適っているし、僕にはそう云う「野蛮」な試みの方が面白かったのである。いや、過去形ではない。今でもそう云う試みを面白がっている。「いかにもね」ってお約束で何かを創るよりは遙かに刺激的だし、だいいち「お約束」でやってしまっては、ともすれば自らパロディに陥る。

そう考えるなら、ビートルズを「懐メロ」としてばかり捉えてはいけない。必ずしも「旧さ」に「懐かしさ」だけが同居する必要はないわけで、「旧さ」が「無謀な冒険」とずっと同居し続ける場合もある筈だ。ビートルズは今でも前衛のままであり、そのようにビートルズを聴く耳をいま持つことが出来れば、創造の現場においてパロディの陥穽を回避することも可能になるのである。

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