100人を考える ―発見する場所05
100人とはどれほどのものなのだろうか。 少し以前に、地球上がもし100人の村だったらという見方が注目されていた。ご存じの通りある世界を100人にスケールを置き換えるというもの。 現在、研究室の関連の調査である集合住宅を対象とした調査を継続して行っている。 調査の内容は、住まい方だったり転居前後の変化だったり多岐に渡るのだが、柱の一つが住宅全体のコミュニティの把握だ。 実は、この住宅の居住者が約50世帯でほぼ100人。 凝縮された100人ではなく、リアルな100人の生活がそこにある。 現段階では整理の過程だが、この100人と言う規模は建築や場を考える上で、一つのベンチマークにもなる。
例えば、今少し関わっている某コンサートホールの計画でもステージ上に最大100人規模のオケの編成をどのように置くかとか、先日ヒアリングに行った小学校でも、一学年が約100名。 オケの場合は、100人の編成で楽器や演奏スペースを細かくプロットし、面積や形状を詰めていくし、小学校ではリアルな100人が自由勝ってに活動する場をどう考えるかと言った様に、内容は違うのだがリアルな100人の動きが場の条件を決定してくことには変わりない。 そして、それは一人づつの積み上げる論理でも、100人全体がどう動くかと言うマクロな論理だけでもなく、その両者のせめぎ合いで幾つかの条件が決まって行く。
話を戻そう。 集合住宅の100人のコミュニティで、ひと気付きつつあるのは、どんな状況になっても、一人という状況が生まれにくいということだ。 趣味、仕事、家族関係もろもろ、どっかで誰かと繋がっている状況が作られている。 現在の話題で言えば、人間関係のセイフティーネットがあるということだろうか。 もちろんこれは、生活の過程でワークショップ等の色々な試みがあったからというのもあるが、100人という単位で場を考えて行くのは、一つの有効なことなのではと思いつつある。
Comments