Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

朗読の秋 ―アルマイトの栞 vol.64

8月が終わっていた。なにやらテント劇場に憑かれたような夏だった。黒テントのテント劇場公演が終わった後に他のテント芝居を観に出掛けたり、とにかくテント劇場に縁のある夏だったのだが、秋めいてきて今度は子ども向け朗読劇である。場所は「横浜人形の家」。「任侠の家」ではない。『網走番外地』を朗読するわけではないのだ。むしろ僕としては鈴木清順が監督した『東京流れ者』の方が好きなのだが。なんの話をしているのだ。朗読劇の話だ。「横浜人形の家」でアンデルセンの『人魚姫』と諸々の朗読劇である。

朗読劇と云うものに関わるのは初めてで、てっきり演者が朗読するだけなのかと思ったら、映像や音楽、照明による演出があるのだそうで、そのあたりの助っ人を頼まれたわけである。ちょっと出掛けてリハーサルと本番に付き合えば好いのだろうくらいに思って居たのだけど、気付けば舞台監督のようなことになっているのだった。明らかに舞台監督が存在しない状況で事が進んでいることに危惧の念を覚えて、いろいろ気遣ってしまったからこうなるのだ。

出演者にも観客にも子どもが多いことを考えれば、一応は舞台を知っている者として、いつも以上の恐怖を覚えるのは当然のことだ。出演者の子どもが舞台の「出・ハケ」をする時に間違っても「暗転で出・ハケになります」なんてことは怖すぎる。大人にしたって怖い状況なのだ。明らかに未就学児の年齢の子どもにそんな危険なことをさせてはいけない。子どもやら、舞台慣れしていない大人のために舞台登退場のシーンで必ず舞台中に明かりを入れようと段取りを考えて居たら、そのためだけに緞帳幕を使わなければいけないことに気付くのだった。この劇場の緞帳にどのような絵が描かれているのかは知らないが。まあ、間違っても加山又造の絵では無いだろう。それは三越劇場である。

子ども達が実際に劇場で練習する機会は夏休み中の一回だけだった。そして案の定、「台本を忘れて来ちゃった」と口走る子どもが居るわけである。すると大人が叱る。子どもは云う。「でも覚えてるから平気」。でもって、本当に覚えているのである。朗読の内容を暗唱し始めたかと思えば急に歌い出す。「木曽のおんたけナンチャラホーイ」「嫁ごよくきたナンチャラホーイ」。なにごとだ、これは。子どもは何でも覚える生き物である。そしてみんなで煎餅を食べて帰ってしまったが、次はいきなり本番だ。

そしてどうやら僕は、未就学児が「初夜の鐘ヨイヨイヨイ」などと歌うあたりで照明を夕暮れにしないといけないらしいのだった。「夕暮れではまだ早いのではないか」などとオトナとして考えてしまうのだけれど、いろいろな意味でやはり暗転は好くないと思う初秋である。

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