『新装大回転玉手箱』写真館 ―アルマイトの栞 vol.63
木場公園に特設テント劇場を建てた『新装大回転玉手箱』は、いまだに全国を行脚している。みんなだいぶボロボロなのではないかと思うが、旅公演の様子は宮崎恵治さんのブログで御覧ください。最後の金沢公演までもう少し。それで、特設テント劇場での『新装大回転玉手箱』は今回も舞台写真家の青木司さんに撮影をして頂いた。神楽坂のTheatre IWATOで初演した昨年の『玉手箱』の改訂新作版とは云え、写真で見る限り全く別の舞台である。昨年の『玉手箱』公演の様子は『アルマイトの栞vol.50』に掲載です。
舞台前に吊った紗幕越しの二人芝居から紗幕が消えて、いきなり大勢で唄って踊る。リズムの激しい派手な曲である。作曲をした元「モダンチョキチョキズ」の磯田収さんと二人で話していた時に、磯田さんはボソボソした小声の関西弁で云った。「今回のイメージはファンキーですねん」。その口調はちっともファンキーではないのだった。かつて「モダチョキ」のステージで、フロントに飛び出して来てギターを暴れ狂うように弾いてたのは本当にこの人だろうかと思ったが、曲を聴いて「やっぱりこの人だ」と頷いた。本番初日の前夜にこっそりとアレンジを変えて、無言で帰ってしまったあたり、たしかにファンキーな人である。劇団員は当然のことながら大慌てになった。
でもって、突然にテント劇場の幕を突き破って軽トラックが出てきてしまうのである。こんな無謀な美術を試みたのは初めてだ。作者の瑞穂さんのせいである。台本のト書きに、しつこいまでに「軽トラック」が出てきて、はじめは見なかったつもりにしていたものの、結末はこうなってしまったのだ。美術に軽トラックを加えたおかげで、無闇に軽トラックに詳しくなってしまった。語り合う相手の居ない、寂しい知識である。
主人公のストリッパーであるらしい「ある女(平田三奈子)」よりも写真右の愛川敏幸さんの太ももの方が眩しいのはどうしたことだろうか。どうにも今回の舞台は愛川さんの太ももが気になって仕方が無かったのである。光らせた舞台の床面がさらに拍車を掛けてはいないか。いや、それを狙ったわけではない。床面を光らせたら愛川さんが勝手にこのようなことをしたのである。芝居をしていなくても不思議な身体性を持っているのがこの人の魅力だ。
舞台転換で軽トラックが回る。全て人力だ。その掛け声は日に日に大きくなっていった。そのうちに舞台転換そのものが芝居になってしまって、一人の役者は「今回は転換が一番愉しい」と口走り始める始末である。たしかに愉しそうだが、雨天の本番では全員の足が滑りっぱなしだった。危なっかしいことこのうえないが、そうなったらそうなったで、みんな飛んだり跳ねたりし始めるわけで、つまりよほど愉しかったのだ。カエルですよ、それは。「いい大人が」などとは決して口にしてはいけない。
照明の横原さんが「軽トラックを使うならヘッドライトを光らせましょうよ」と提案してくれて、光った。実は室内灯も点灯するのだけど、撮影した際にはちょっとしたトラブルで無点灯である。でも、ヘッドライトが点灯すると軽トラックに「貌」が生まれる。立派なキャストの一人である。この舞台の狂言回しは無言の軽トラックだと、僕は思う。生身の役者にこの表情は出せない。それにしても写真右の宮崎恵治さんはベースが弾きにくそうな衣装である。押さえるのが困難だとおぼしい音がいくつかあったけれど、衣装の山下さんをはじめ、全員が「その衣装で弾いてほしい」と口を揃えたのだった。
最後のシーンの軽トラックはこのようなことになっている。演出とは別の目的で分解可能になっただけなのだが、気付けば黒テントの人々が稽古と公演を重ねる毎に軽トラの分解・組立の腕を上げてしまい、それは他のことに先ず役立たないであろう技能で、そうなると演出に取り入れたくなるのが舞台人の人情である。完全な状態の軽トラックが一度テント劇場の外に出て行って、数分後にこの状態でテントに入って来るのだけど、ある本番でその様子をテントの外で眺めていたら、この人たちはテント外の暗闇で、電動工具も使わずにジャスト5分で軽トラックをこの状態に分解した。しかも物音すら立てないのである。この人たちの近くにうっかり車を停めておかないほうが好い。知らないうちに分解されて、どこかへ売ってしまう恐れがある。
こうしてテント劇場での東京公演を終えて、みんなも舞台も軽トラックも旅立って行った。公演に足を運んでくださった皆さん、お手伝いや諸々の御協力とアドバイスを頂いた方々、ありがとうございました。機会があればもっと人の度肝を抜くような野外劇を企ててみたいものだと虎視眈々なこの頃です。多謝。
Comments