Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

STAGING No.16始動 ―アルマイトの栞 vol.51

4日の金曜日、雑誌『STAGING』の取材で「彩の国さいたま芸術劇場」へ出かけた。ちょっと久しぶりの「さい芸」である。一昨年の春に来日した「ドイツ座」の『エミーリア・ガロッティ』を観て以来、足を運んでいなかったようだ。いささか記憶が曖昧なのは、舞台を観に行くのではなく、何か他の用事で劇場を訪れることが多いからで、「さい芸」に限らず、正面エントランスを通過するよりも楽屋口を通過した回数の方がはるかに多い劇場は他にもある。だから、いざ舞台を観るために劇場へ出かけた時、「客はどこから入ればいいのだ」と真剣に迷ったこともしばしばで、いかがなものかと思う。

「さい芸」に出かけるのが久しぶりと云うことは、つまり与野本町に来るのが久しぶりであって、考えてみれば、与野本町に他の目的で来たことはない。「さい芸」が出来たのは1994年で、劇場がオープンした直後、岸田理生さん作・演出の『鳥よ、鳥よ、青い鳥よ』を観に行ったが、それが与野本町の駅で下車した最初である。知人が出演していて、それで誘われたのだ。

それからも、何かと「さい芸」に出かけてはいるけれど、さっきも書いたように、それは観劇以外の目的が多く、中でも圧倒的に「調査」が目的になっていた。まあ一応は劇場計画研究者って顔も持っているので、何かしらその時々の研究テーマで「さい芸」からも協力を頂いて、楽屋口から劇場に入り込んでは隅々まで見て歩いていたわけだ。こんなことをしていたおかげで、この劇場の中をどう歩けば小ホールの奈落に行けるとか、音楽ホールの楽器搬入用エレベータの積載重量はいくらだとか、そんなことばかり知っていて、それは知っているからと云って、誰にも自慢できない知識である。

今回の取材には『STAGING』の編集・デザインを担当しているライトハウスのKさんが同行してくれて、劇場スタッフの方お二人にあちらこちらを案内して頂いたのだが、「さい芸」の舞台裏を歩くのはかなり久しぶりで、だんだんと僕は記憶の扉が開き、「確かこの裏に階段があって、そこから奈落に行けましたよね」などと口走り始め、挙げ句の果てにはスタッフのお一人から「わたし、こんな場所があったなんて知りませんでした」と云われる有様である。これでは取材と云うよりも記憶喪失の治療だ。「こいつは何をしに来たのか」と思われはしなかっただろうか。

取材は劇場の見学をした後に、事業部長からお話を伺うとの段取りだったのだけど、僕は事前に「事業部長のワタナベさん」とだけ聞かされていて、それがどんな「ワタナベさん」なのか知らずに出向き、いざその「ワタナベさん」が現れたら劇場プロデューサーの渡辺弘さんだった。驚いた。「セゾン劇場」、Bunkamuraの「シアターコクーン」、「まつもと市民芸術館」のオープンを手がけ、多くの演劇作品のプロデュースもしてきた人である。その渡辺弘さんが「さい芸」に移られていたことを僕は迂闊にも知らなかった。それで、びっくりしてしまい、「さい芸」の話を伺う筈が、全く話題は別の方面に拡がり、つまり取材そっちのけで延々と雑談をして終わってしまったのだが、思いもよらず愉しい時間になった。

取材の最後に、来日している「ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス」の公演『Amjad』を観て、嗚呼なんと充実した一日であったことか。結局のところ、『STAGING』の取材は毎回このように遊んでいる。そして、遊んだからには連載原稿を書かないといけない。それが遊びの代償である。原稿の締め切りは今月末だ。書こう。書きますよ。こうやって昼夜が逆転していく7月なのだった。

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