泣けるマンガ ―アルマイトの栞 vol.23
大学の前期の授業はともかく終わった。夏休みである。妙に嬉しい。小学生の頃、終業式が済んで「いざ夏休み」と云う時、目の前には無限に拡がる自由と青空があった。もうあの気分を味わうことはないけれど、とにかく今は嬉しい。「仕事をしよう」とか思ってしまう。いろいろすることがあるんだ。
しかしである。よく試験前になると何度も読み返したマンガを読みたくなってしまうように、本に手が伸びてしまったのである。よりによって「活字上下二段組み、700頁」の本に手が出たのがいけない。荒俣宏の本である。高校生の頃にはまった『帝都物語』の続編が刊行されて、即座に買ったのがよくなかった。敬愛するイラストレーター丸尾末広の表紙装画にも惹かれた。知らない人のために説明すると、『帝都物語』は明治末年から話が始まり、帝都東京の破壊を目論む陰陽術師とそれに挑む人々の闘いが描かれており、日本SF大賞を取った作品で、嶋田久作の主演で映画にもなった。歴史上実在する有名人たちが出てくるところも面白いのだが、建築や都市計画に興味を持つ人は絶対読むべきだと高校生の頃に思った。新たに刊行された『新帝都物語』は幕末の話である。いま、無意味なまでに新撰組とかに詳しくなっている。まあ詳細はWikipediaの『帝都物語』の項目でも見てください。
この分厚い本をほとんど一気に読了したので、真面目に仕事をすればよいものを別の本に手が伸びた。今度はマンガである。古屋兎丸のマンガで『ライチ☆光クラブ』(太田出版)と云う作品である。一年ほど前に買った本だ。これは演劇作品がもとになっている。80年代に飴屋法水が結成してマニアックな人気を博した「東京グランギニョル」と云う劇団の作品である。劇団の存在は知っていたものの、残念なことに僕は彼等の舞台を観る機会が無かった。所属俳優には嶋田久作が居た。客演で越美晴なんかも出ていたのである。僕は本や写真でしか知らないが、その舞台は徹底的に耽美で退廃的ある。僕が舞台作品を創っていた時、少し影響を受けたような気もする。
『ライチ☆光クラブ』は少年愛的な繋がりを持った数人の男子中学生が秘密の隠れ家(秘密基地)でロボットを造る話である。そのロボット(ライチ)の任務は「美少女を掠ってくる」こと。舞台ではこのライチを嶋田久作が演じ、掠われて監禁される美少女を越美晴が演じていたのである。それだけで素敵だ。どうも『帝都物語』から嶋田久作つながりでこのマンガを読み返し始めたのかも知れない。なに故にこのマンガを読み返し始めたかと云うと、たぶん生まれて初めてマンガを読んで涙ぐんだのである。普段は全く涙もろくなく、『大草原の小さな家』を観ても泣かない「氷の心臓」の僕である。その僕が涙腺に刺激を受けた。
監禁されている少女とライチの間に淡い恋愛感情が生まれる。これだけだと何だか陳腐な話だが、酷く「優しい」話なのである。男子中学生達に命を奪われそうになる少女に対してライチが少年達への反乱を起こし、最期は少年達も全員命を落とし、ライチも壊れてしまい、少女がたった一人生き残る。人の命を奪ったライチは少女に「人を殺した自分はやっぱり人間になれなかった」と云い残して壊れていく。少女は「違うわ、ライチは本物の人間だわ」とライチに口付けする。ライチは「ずっと一緒に・・・」と云いかけて完全に壊れてしまう。何だかさ、泣いてしまうんだよ、このラスト。
飴屋法水が舞台や美術と云った世界から距離を置いて随分経つけれど、『ライチ☆光クラブ』は舞台で観たい。もう一回やってくれないかな、「東京グランギニョル」。キャスティングはぜひ同じで。越美晴がライチにオルガンを教えながら賛美歌を唄うシーン、絶対に僕は感動すると思うんだよな。ライチが壊れた後のラストで越美晴が賛美歌の「人罪ありて暴れかるべき者なれば 願わくば神よそれを憐れみ給え」って唄う場面は舞台でも僕は泣くと思う。素直に涙が流せると云うことは恥ずかしいけれど素敵なことなのかもしれない。
Comments