冗談だというのに ―アルマイトの栞 vol.22
電子メールが登場してから、かなり仕事のしかたが変わったように思う。それまでは電話かファクスか郵便だったからね。微妙にリアルタイムのような、そうでないような電子メールって道具の登場は何だか不思議な気がしたものである。最初にメールを導入したのは10年近く前のことで、その頃のMacにはメールソフトもブラウザも入ってなかったので、自前でソフトを購入した。EUDORAってソフトである。これをかなり長い間使っていたので、その後Macを買い換えても新しいバージョンのEUDORAを手に入れていた。そもそもダイアルアップの時期が長かったんだな。時代である。
メールを導入した当初は、何故か届くメールを律儀にプリントアウトし、ファイリングをしていた。今となってはなんであんなことをしてたのか自分で首をかしげるが、たぶん「紙」に対する圧倒的な信頼感があったんだろう。ハードディスクの容量もそんなに大きくなかったから、「きちんと保存しよう」と思うとそれは「紙」なのだった。今はむしろ紙が増えることを嫌う僕なので、まずそんなことはしていない。
かなり容量のある添付ファイルのやりとりを含め、ともかく便利になったことは確かだ。しかしその一方でメールの返事を書くことに宛てる時間が随分と増えた。ヘタをすると半日くらいはメールの返事を書いているのではないか。そしてふと思うのである。「これって仕事なのか」。仕事には違いない。しかしどうも釈然としないのである。あまり生産的なことをしているように思えないのが原因だ。近頃、一日に届くメールの量が尋常ではないことがあり、何かにかまけて二日もメールチェックをサボると恐ろしいことになっている。受信フォルダを開くときに恐怖すら感じるのである。そしてまた延々とそのメールに返事を書くことになる。
誰か自分の代わりにメールの返事を書いてくれる人がいないかなと近頃頻繁に思うのである。口述するからそのまま書いてくれって気分である。「そんな秘書が欲しい」と学校の授業で口走った。本気で云ったわけではない。あくまで願望を口にしただけの冗談だ。そしたら一人の学生から「私でよければやらせてください」って本気のメールが届いたのである。最初は何を云ってるのか解らないメールだったが、ともかく本気である。どうしたものか。どうやらTetra Logic Studioに就職したい雰囲気だ。そりゃあ雇えるだけの余裕があれば断る理由も無いんですけどね。今は無理だなあ。いやホントは「古新聞を片付けてくれる人」とか欲しいんだけどさ。でもこれって自分の怠惰を他人に押しつけてるだけなんではないか。
冷静に考えて、メールの内容を口述して誰かに書いてもらうってのは、自分で書くよりも手間が掛かるんではないか。とんでもない変換ミスとか起こりそうである。現にいま「怒りそう」ってなったな。自分も背後でモニタを見てないといけない。それでは意味が無い。だいいち、口述しながら他の仕事を進められるほどアタマが器用に出来ていない。冗談を本気で受け止めてしまった学生には悪いけど、実現しないほうが好さそうだ。メールを読み上げる音声機能があるのだから、口述をそのまま文字にしてくれる機能を誰か早く実現してくれないか。いや、さっさと電話を掛けたほうが早いって話か。
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