一人が緑色 ―アルマイトの栞 vol.157
「この子も出演させたい」と、人形を連れ出してきたのは舞踏家の細田麻央さんで、それは動画サイト公開用に制作する麻央さんの舞踏映像作品の打ち合わせのために、関係者がMAOダンス・スタジオへ集まった時のことだ。妙に思い詰めたような顔をした少女の人形は和服を着て、打ち合わせの場でも同席者として椅子に座っていたが、その思い詰めたような表情から察するに、絶対に話を聴いていない。加えて、何かの拍子に頭がガクッと前に倒れ、居眠りをする。当人のヤル気が極めて怪しい。その一方で後日、麻央さんから「この子の洋装姿です」とか云う写真添付メールが何通も届く。ステージママだ。
ともかく、それなら出演してもらおうと、撮影現場へ人形を連れ出したが、保護者である麻央さんの熱心さとは裏腹に、やはり当人のヤル気は撮影現場でも怪しい。うわの空の表情は相変わらずで、しかも、カメラが回っている最中であろうと頭がガクッと前に倒れて居眠りをする。慌てて誰かが駆け寄って、起こす。起きてはくれても、明らかに何か撮影とは関係無いことを考えている雰囲気で、ことによると、周囲の撮影関係者などより遙かに真っ当に己の将来を悩んでいるのかもしれない。もしくは、「撮影のたびにハンバーグ弁当は飽きたなあ、海鮮ちらし弁当がイイなあ」と、些細なようで、実はトッテモ重要な問題について思い悩んでたりするのではないか。
どうやら誰かが付き人のように世話を焼かないと、この少女の人形は舞踏作品への出演に前向きな気分にはならないらしく、腕を上げ続けるなど、もってのほかで、ただ椅子に座っているだけの姿勢ですら、チョット目を離すと、椅子からズリ落ちるような格好で退屈そうに天井を見上げている。バレエ教室だったりしたら「キープ力が全く無い」と叱られるわけだが、この人形に云わせれば「べつにダンサーになりたいわけじゃないんで」である。それで、この人形のために誰かが黒衣(くろご)を務めようと決まり、文楽の人形遣いと同じように、黒い衣装で全身を包んだ者が人形の面倒を見れば好いのだと思ったら、撮影担当の大津伴絵さんが発言した。「黒ではなく、全身が緑」。なぜか目眩がした。
さすが映像家で、特撮の提案だ。緑色の背景幕の前で、映り込みを避けたいモノだけ同じ緑色にして撮影し、編集時に緑色の箇所を消し、残った箇所を別の背景映像などと合成する手法である。だが全身が緑の衣装など、滅多にない。数日後に麻央さんから写真添付メールが来た。「これで全身が緑OKです」。シーツなどを染めて作った、頭の先から緑の、秘密結社みたいな衣装の写真だ。ステージママの情熱は、自宅のシーツさえ迷わず緑に染色してしまう。大津さんから「テスト合成OK」と、合成写真の添付された返信が届く。ふと、緑色の覆面をスッポリ被って緑のシーツを着た「カエルを崇拝する秘密結社」みたいな姿になるのは自分ではなかろうかと不安になるが、その話題だけを誰も口にしない。
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