Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

どこまでも暫定的 ―アルマイトの栞 vol.126

具体的にどうするか全く目算も無いまま、昨年の春頃に漠然と思い立ち、映像作家の大津伴絵さんと一緒に撮り溜めた半村良さん関連の映像を、ともかくも25分ほどの長さに編集してまとめた。大津さんと編集作業を進めつつ、仕上がる映像を見るたびに、「このシーンはもう少し手を加えたい」などと二人揃って口走り、放っておくといつまでも完成しない雰囲気なので、暫定版と呼ぶことにして作業に区切りを付けようと云う話になった。その暫定版に、よせばいいのに、また二人で手を加えた。暫定版2である。前の版よりホンの少しではあるが、質が上がった。すると、さらに欲をかく二人だ。暫定版3。ろくなものではない。二人揃って「大きい方のツヅラ」を選ぶタワケ者だ。

そして、やはり強欲なタワケ者にはバチが当たるように世界は出来ている。暫定版3の仕上がりが、編集事故とでも呼びたい状態になってしまった。いったい、どこでどうなったのかハッキリしないものの、映像と音が奇妙なシャッフルを起こしていたり、なんとも手の施しようの無いシロモノになっていた。オープンサンドを作ろうとして無闇に具材を足し載せ、調子に乗ってトーストを試みたら、グルグル回るレンジの中で具材が散乱していたような、そんな気分である。二枚目以降をトーストにするのは思い留まるのが普通ではないか。どうやら自分たちは暫定版2で一応の満足をすべきらしいと心を入れ替え、当面はそこで立ち止まることにしようと決めた。

いつまでも手直しの作業を繰り返してしまう原因は、その映像をチェックする視聴環境が何通りも有るからで、加えて、同じ映像のDVD版とブルーレイ版を作ってしまったことも、悩ましさを増す一因になっているように思う。ディスクに焼く前の編集段階では、大津さんの仕事場の視聴環境で編集ソフト上の再生状態をチェックしている。二種類のディスクに焼いたならば、それをMacで再生したり、TVに繋いだ専用プレーヤで再生したり、さらにヘッドフォンを使ったり使わなかったりを試し、そんなことをしているうちに自分でも何を判断基準にすれば好いのか判らなくなるが、何度も繰り返し視聴するほど自分の目と耳が慣れ、なぜか基準は高くなる。目と耳まで交換などできたらコトである。

そう書いていて、気付いた。プロジェクタで投影しての視聴チェックは、していない。なんでそんなことに気付くのか。よりによって、つい先日、仕事場に一台のプロジェクタが転がり込んで来ていたのだ。試してみるべきだろうか。だが、上映会などを企んでいるわけではない。そもそも、収録に協力してくれた人々には「どんなものに仕上げるかも、目的も、全く未定です」と喋ったままだ。よもや、こんな映像が出現するとは予想もしていないと思うわけで、先ずはその人々に視聴してもらわなければいけない。しかし、なんと説明して見せれば好いのか。「あ、でも、まだ、暫定的なんです」とか口走ってしまいそうだ。何が「暫定的」なのか、自分でもよく判らないことになっている。

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