3.5週間後に気付く ―アルマイトの栞 vol.111
どう考えても時間が経ち過ぎではないかと思うが、鈴木一琥さんダンス公演『龍の声』の打ち上げがあったのだった。公演から三週間以上が経過して「打ち上げ」と云うのもどうなのか。もう、何を打ち上げたら好いのかよく判らないのである。「これは公演の打ち上げなのだ」と強い自覚を持ち続けることが出来なければ、それはただの「呑み会」になってしまう。そして、それは「不可解なことに」と云うべきかもしれないが、出席した全員が「これは公演の打ち上げなのだ」と強く自覚をして集まったらしく、きちんと「打ち上げ」になっていた。その席上で一つの指摘が出た。「この公演って、じつは野外公演だったんじゃないか」。三週間以上も過ぎて、なんてことを云い出すのだ。
けれども、あらためて冷静に今回の公演を振り返るならば、どうやらやはり、「野外公演」だった可能性が高い。今さら気付いてどうするのかと云う話ではあるが、作品を上演するうえで直面した課題を一つ一つ丹念に見ていくと、それはたしかに野外公演の場合に現れる課題の群れだ。もし仮に、今回の公演のために舞台照明専用のスポットライトなどを持ち込むことが出来たなら、それらを固定する場所も自分たちで仮設しなければならなかった筈で、いや、そもそも、そんな器具を使えるだけの電気容量の無い場所なのだから、発電機を持ち込むか、電力会社に申請して近場の電柱から仮設電源でも引っ張り出すことから始まった筈である。誰が聞いたって「野外公演なんですか?」と問うではないか。
じつは、実現をすぐに断念したことだが、公演本番が目前のある日、ふと「発炎筒を焚きたい」と馬鹿者なことを思い付いた。公演会場の第五福竜丸展示館の前庭辺りで発炎筒を焚き、その光を展示館のガラス面越しに煌々と輝かせてみたい衝動に駆られたのだ。自動車に搭載が義務付けされているアノ発炎筒は、法律のうえでは玩具の花火の仲間だ。「これ、花火なんですよ」と云い張ることが出来れば使えるのではないかと企んだが、当然のことながら夢の島公園内は花火禁止だった。消防申請が必要な行為である。公演日の一週間前に思い付いて好い話ではない。しかし、もし申請に充分な時間があったなら、発炎筒の10本くらいは焚きかねなかったわけで、それはどう考えても野外公演の発想だ。
つまり、公演までの準備期間が豊富に有り、万が一にも潤沢な予算などを手にしていたならば、何をしでかしたか判ったものではなく、そう云えば誰かが「会場に水槽をたくさん並べて魚を泳がせたら面白いですよね」と口走ったりもしていたが、それもまたどこか「野外公演」の発想だ。時間と予算が、笑うしかないほど少なかったからこそ、「暴挙」に出るゆとりが皆無で、むしろ公演会場としての「基本」を作ることに奔走し続けたが、じつはそのこと自体がすでに「野外公演」に携わる者たちの振る舞いである。野外公演の一種だったと気付いてしまったいま、一琥さんが「次は福竜丸の上をフライングで飛びたい」などと云い出したら厄介だが、そんな謀略は二年前くらいに云って貰わないといけない。
Comments