年表も課題図書の夏 ―アルマイトの栞 vol.103
家政学院の4年生数名と卒業研究の話をしていたら、それぞれにテーマこそ異なるが、「そのテーマで年表を作ったほうが好いのではないか」と云う点が一致した。そうなると、テーマ別の年表に並行して一般史の年表が添えてあれば更に面白い筈だと、学生を煽ってしまう。学生からしてみれば、つくづく面倒なことを思いつく教員である。そして先ずは自分で年表本を買った。高校教材としても定番の吉川弘文館『日本史年表・地図』と『世界史年表・地図』を買い、つい目に触れた山川出版社『詳説 日本史図録』も加えてしまった。「AB版360頁フルカラー、890円」に釣られたのだ。これも定番教材だが、昨今は写真の刷り上がりが綺麗で、これが教材なら自分も落描きを思いとどまる。
半村良さんの伝奇SF読破仕事の開始から何ヶ月も経つ今さらだが、「伝奇」以前に「正史」に関する自分の知識がどうも怪しい。まかり間違っても、「源義経がジンギスカンになった」とは信じていないものの、では平家滅亡の経緯をきちんと順序立てて憶えているかと問われたりすれば、自信はない。そんな有様なのに、半村さんの伝奇SF『平家伝説』を読んだりする自分をどうかと思う。そんな折りに最新刊の年表を買うことになり、そもそも年表本の最新版などを手にするのは高校以来初めてかも知れず、そうだとすればこれは何かの因果である。「きちんと歴史を知ったうえで伝奇を読みなさい」と云う天啓かも知れない。「年表の神様」でもいるのだろうか。それを怒らせでもしたのか。
考えてみれば、歴史に関する自分の知識の出所は随分と怪しいものばかりである。十代の頃は月刊雑誌『ムー』だの『歴史読本』だのを読み耽り、そこに書かれている内容は「知られざる歴史の真相」と表現されもするが、つまりは「オカルト」雑誌だ。せめて小説くらいは司馬遼太郎でも読めば好いものを、行き着く先は夢野久作『ドグラ・マグラ』だったりしたわけで、唐の時代の玄宗皇帝や楊貴妃について自分が何かを喋ったとすれば、それはたぶん『ドグラ・マグラ』に書いてあった内容なのではないか。虚構の話を人に喋って回っている可能性が濃厚で、それが雑談ならともかく、ヘタをすれば家政学院の教壇あたりで喋ったかも知れないのである。いくらなんでもマズイだろう、それは。
そんな自分がここ数ヶ月で読んだ半村さんの伝奇SFを振り返ってみると、作品で扱われた歴史の分野は「石器時代」「古代ギリシア」「古代イスラム」「大和朝廷」「源氏と平家」「戦国時代」「幕末」「太平洋戦争」・・・となり、どうやら「歴史を全部」である。それらを、ただの一度も年表など確認しないまま読み進んでしまった。まるで、交通規則の中途半端な知識だけで長距離無免許運転を繰り返しているようなものだ。買ったばかりの年表をパラパラ眺めるほどに、その自覚が強まる。この夏の、自分の課題図書は年表本である。半村さんの伝奇SFを前にすれば、当然の必修一般教養科目だが、そう考えると、年表に記述の無い神話の時代が問題だ。「もれなく『古事記』をプレゼント」の年表本があれば、ためらわずに買う。
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