Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

前触れの無いSF ―アルマイトの栞 vol.100

結晶世界 とりたてて疑問を抱くことなく読んでいる半村良さんのSFだが、そこから半村さん公式ツイッターへ掲載するネタを拾ってリスト化し、後日そのフレーズだけを見返すと、描写された光景が妙に気になる。「宇宙人は箸を置いた」。どんな光景を思い浮かべるべきだろうか。自分は今のところ、宇宙人を見たことはないのだ。何食わぬ貌で作者が描写する光景の大半を、実は誰も見たことがないのがSF小説かもしれず、とくに海外SFの邦訳を読むとその印象が強くなる。J・G・バラードの『結晶世界』に描かれた光景などはどうすれば好いだろうか。「色彩豊かな甲冑のような彩光は消え、ほのかな琥珀色の輝きが樹から樹へと動き、金属片で飾られたような地表が翳っている」。友人からのメールだったら心配になる。

読み手の側にSFであることの暗黙の了解が有りさえすれば、作者がどれほど壮大で不可解な事柄を文章にしようと構わないらしい。読み手のアタマの中に浮かぶ光景が支離滅裂で混乱したものにしかならなかったとしても、「SF」の前提さえ成立していれば、読者はその不可解な文章を「虚構の科学現象の描写」として素直に受け止め、本気で疑問を抱くことはない。しかし、もし「SF」の前提など一切無しにSF的な文章に出遭うと、人は己の日常の中に、何か穏やかならぬ事態が起きているのではないかと不安になる。珈琲でも飲もうと入った店のメニューの余白に、「スプーンを曲げるために超能力があるわけじゃない」と印字されていたりすれば、客は当惑し、間違いなく店主に不審を抱く。何の前触れも無く日常にSFが現れてはいけないのだ。

数日前に掛かり付けの病院で、今まで服用したことのない薬を処方された。初めて処方される薬には、薬局がその薬の説明や注意を印刷した用紙を添えてくれる。その注意事項に奇妙なことが書かれていた。「この薬を飲んで寝た後、一時的に起きて仕事をする場合は飲まないでください」。何を云ってるのだ、これは。その薬はもう飲んでしまった後なのじゃないのか。もしかして、さりげなく自分の日常にSFが闖入したのかも知れないと思った。そもそも、どうもヘンだと感じたのは、注意書きの前に印字されたその薬の説明文を読んだ時だ。「形:錠剤」は問題ないが、「色:薄橙みの黄」だ。どんな色なのだ。日光に当てると「黄色と洋紅色の光にくるまれ」たり、「自分の姿が幾重にも屈折されて見え」たりする物質だったりしないだろうか。そのまま『結晶世界』である。

そして、その「薄橙みの黄」は「この薬を飲んで寝た後、一時的に起きる場合は飲まないでください」と、患者にタイムパラドックスの難問を突き付ける錠剤である。もしこの薬を飲んで寝た後に起きてしまったら、飲む前の時間に戻らなければいけないわけで、しかし「戻った過去」で薬を飲まずに過ごしたら、「飲んで寝た自分」の存在はどのようなことになるのか。典型的なタイムパラドックスではあるが、とは云え「歴史の行く末」に何の影響も与えそうにない情けなく些末な「過去の改変」である。ともあれ、薬局の主人に説明を求めに出向いたら、こちらが理解できるよう答えてくれるだろうか。「その場合、時間の要素が光の役割の代用を果たしているようなんですがね」。いつも白衣を着たあの老店主の名が「バラードさん」であるらしいこと以外には何も判らないのだった。

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