いつのまにか予知能力 ―アルマイトの栞 vol.96
いつまで続くのかと思う半村良作品の読破作業である。よくもまあ書いたもので、自分の読み終えた分量はまだまだ氷山の一角だ。半村さんの作家活動はおよそ40年間で、全作品を読むのに同じ時間が掛かる筈はないが、もしそんなことになったら、自分の寿命の方が先に尽きる可能性が大きい。しかし、半村良オフィシャルサイトの運営や、公式ツイッターの日々更新のためには読み続けるよりない。とは云え、半村さんには申し訳無いが、自分には他にも読みたい本があるわけで、そうなると他の本との併読になってしまい、読むスピードが遅くなる。わりあい短時間で読了したのは『戸隠伝説』だった。土偶と埴輪が戦争する話である。と、紹介されても未読の人は困惑するしかないのじゃないか。
読み終えた半村作品はまだほんの一部だが、立て続けに同じ作家の作品を読むと、その作家が好んで書く物語のパターンに気付いたりする。それを「マンネリだ」などと揶揄する気は無く、むしろそうしたパターンそのものを読者が好む場合は多い。ジャンルを問わず、「ファン」とはそうした者たちだ。ユニゾンのヴォーカルではないムーンライダーズを、ファンは納得しない。シャーロック・ホームズは、煙草の吸い殻を目にすれば「男が三人居たね。そのうちの一人は切れ味の悪いナイフを使っているよ。もう一人はインドから帰ったばかりだ」などと喋り出すことになっていて、そうでなければファンは心配な気持ちになる。
自分にとっては数冊目だった半村作品『産霊山秘録(むすびのやまひろく)』を読んでいた時、すでに半村作品のある種のパターンに気付いた感じがした。「そろそろタイムスリップが出るんじゃないか」と思って読んでいたら、やはり出し抜けに時間を飛び越える事態が起きるのだった。他の作品でも、「あっ、なんか、テレパシーが来るかも」などと予感しては的中する傾向にあるのだが、その予感をウッカリして独り言のように口走ると、そばに居合わせた人を不安にする恐れがあるので、なるべく黙っている。ともかく、物語の展開を薄々感付いてしまうようになったのは事実だ。繰り返すが、「マンネリだ」と批判する気は全く無い。むしろ、そのパターンに興味を覚えるのだ。
カッコ好く表現するならば、「物語の構造」とでも申しましょうか。音楽に喩えるならばコード進行のような「展開のさせ方」である。そこに半村さんの好みやクセを見付けてしまうことが興味深い。作品毎に「展開のさせ方」を整理して比較すれば、『半村良をめぐって〈そのテクストにおける記号学的分析とトポロジー的試論〉』などと題された本が書けるのではないかと思うが、自分でも何を云っているのかよくわからないのだった。自分で自分が心配になるようなことを考えながら、半村作品の展開を「予知」し、的中させては悦ぶ読書を継続中だが、さすがに土偶と埴輪が戦争を始める展開は予知出来ませんでした。半村作品の読破作業が、予知能力の覚醒訓練のようなSF的行為になっている。この予知能力が作家から弾圧される未来が見える。
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