Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

舞台の向き ―アルマイトの栞 vol.75

もし屋外で何かイベントの類をすることになり、そこに仮設ステージが必要となったら、人はその舞台の向きをどのように決めるだろうか。商店街が企画して駅前などで催される祭りの仮設ステージは、誰がどのような判断で「正面の向き」を決めるのだろうか。「どっちを向いたって同じじゃないか」と思いはするものの、誰かが何らかの判断で決めなければならないのも事実である。

江戸時代の、まだほとんど「屋外公演」に近い様相だった歌舞伎について、「舞台は南向き。役者の正面に日光が当たり、客は逆光の舞台を観ずに済んだ。舞台から見て左側を東、右側を西と呼ぶことの起源」と聞いたのは学生時代のことだ。「ああ、なるほど」と思った。しかし、それから何年か経って、その話に不審を抱いた。何の必要があったのかは忘れたが、江戸の古地図を図書館で見ていた。幾つもある芝居小屋の向きが、必ずしも先の話と一致しない。気になったので大阪の古地図も調べたら、話はますます混乱するのである。舞台の向きはバラバラで、真北を向いている場合すらある。同じ芝居小屋が、移転する度に向きを変えていたりもする。その一方で、劇場用語として「東西」の語を使うことも現在に至るまで事実なので、つまり「舞台の連中はいい加減なヤツらだ」と思うよりないのである。

いやそもそも、大勢の観客が一方向のみから舞台を眺めるとは限らないじゃないか。完全な屋外公演の場合なら尚のことだ。たとえ「舞台の正面はこっちですよ」と誰かが決めて、それを示すために舞台背面と側面を幕で囲っても、その幕の隙間から舞台を覗き込む者は必ず多数出没する。屋外公演の舞台が、日光を求める動機のみから南を向く必然性は希薄となる。それでも尚、方位そのものに拘るとすれば、占術でも持ち出すよりない。

自宅の近所の駅前祭りで、仮設ステージはほぼ真東を向いていた。何の囲いも無いステージだが、スピーカと照明の向きが無言で「東が正面だからね」と表明し、メインゲストの某大物演歌歌手を見ようと朝から場所取りを始めた人々は迷うことなくステージを西に眺める側に座り込んで居た。では、何を根拠にこの配置にしたのか。おそらくは、極めて現実的な諸々の「根拠」である。ステージイベントに伴う技術的な事情や、緊急車両の動線や、交通規制の方法や「関係各方面の声」とやらが絡み合った結果と考えるのが妥当だ。

その中でもかなりアヤシイのではないかと睨んだのは、電源車の停車場所である。ステージ用の発電機を搭載した一台の専用トラックが停まっていたわけだが、他に旨い停車場所は無さそうだ。ステージは電源車の近くに設営したいだろうし、加えて大勢の観客が確実に群衆化することを予想すれば、仮設ステージの向きはイヤでも決まる。「東」に特別な意味があるわけではない。いずれにせよ、これが方位占術の結果であっては欲しくないと思う。照明と音響のブースがステージの鬼門の位置で、それでは余りにスタッフが可哀想と云うものである。

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