Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

演劇と女子高生 ―アルマイトの栞 vol.11

見ず知らずの女子高生とカフェでお茶を飲んだ。べつに何か悪いことをしたとか、そう云うことではない。とは云え、ハタから見たら何だか奇妙な光景だったんだろうなあ。学校帰りの女子高生が、場違いなカフェで面識のないガラの悪い男とお茶飲んでるわけだから。

数日前の夕方、近所の行きつけのカフェへ珈琲を飲みに行って店のオーナーのIさんと話をしていたら、その女子高生が店に入って来たのである。この店には場違いな女子高生の常連客が一人居ると云うことはIさんからも噂を聞いていた。高校では演劇部に所属していると云うことも。だからすぐに「このお嬢さんだな」とわかったのである。そう云えば、この女子高生君が店に入って来た時、僕は二杯目の珈琲ではなく、ビールを呑んでいた。

常連客らしくカウンター席に座り、店のIさんに話しかける彼女の話題は「公演本番二日前なんですよ」と云った内容だった。で、他に客も居なかったと云うこともあるけど、いつの間にか僕はその話に加わり、気が付けば彼女は僕のテーブルに席を移していたのである。何だかレイモンド・カーヴァーの短編小説のような展開である。

高校演劇に関わる高校生には多少なりとも興味が沸く。単純に「何で演劇なんか始めたのか」と。否定的な意味合いでそう云うのではなく、純粋な好奇心である。例えば、60年代や70年代であれば、特に小劇場演劇とかアングラ演劇と呼ばれるものに飛び込むことは、「あの時代」の政治的な運動と「自分」の位置関係の取り方をそのまま意味したのではないかと思う。「デモか演劇か」みたいな。

だから今の時代、十代で演劇に関わろうとする高校生が何を考えているのか興味が沸くわけである。話をした女子高生君が特に変わったタイプだとは思わなかった。まあチョット文学少女的だったかな。でも珍しいタイプではない。本番二日前と云う舞台の台本も見せてもらった。てっきり鴻上尚史でも使ってるのかと思っていたら、オリジナル作品だった。「いじめ」とか高校生の人間関係が話題として取り挙げられていたけれど、こうした等身大の話題設定は好ましいと思った。ロクに知りもしない世界を演じている芝居ほど見ていて嫌になるものはない。

彼女と随分長いこと話をしていたが、結局わかったことは極めて普通の女子高生であると云うことだけだった。これは決して落胆ではなく発見である。「デモか演劇か」の時代には、それが一般的な「若者文化」だったわけで、今から見ると特殊な状況の様に映るに過ぎない。と云うことは、今の「普通の」高校生が普通に演劇に近づいたっておかしくはない。彼女が演劇部に入ったのは「友達と覗きに行ったら勧誘されたので」だそうだが、それは僕だってある意味同じである。舞踏のカンパニーをうっかり覗いて、「オレのところで勉強するか」の一言で入ってしまったのだから。大抵はそんなものである。

むしろ自分でもおかしかったのは、この見ず知らずの女子高生とカフェで話をしていると云う状況そのものである。これ自体、極めて演劇的な状況ではないか。このまま戯曲になると思ったな。彼女の所属する演劇部は総勢5人しか居ないので、スタッフに人を取られたら役者には二人しか充てられないと云ってたけれど、この日の状況だったらそのまま舞台に出来るよ。いつもの夕方に少しだけ亀裂が入って、でも結局は何も変わらない女子高生の一日。そう云う芝居だって高校演劇で成立すると思うのだけど。話をしている最中に彼女の口走った「あの、シーザーサラダ食べてもいいですか」ってコトバは何だか状況も含めて好いセリフだった。意図的に演出したって中々こうはいかない。こう云う芝居を彼女の通う都立S高校に売り込みに行こうか。

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