Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

映像の嘘と現実 ―アルマイトの栞 vol.9

べつに、どこかのTV番組の捏造騒ぎのことではない。 時折、映画を撮りたいなと思うのである。 学生の頃は年に一本くらいのペースで仲間とビデオで短編映画を撮っていた。 みんな呆れるくらいに時間があったけれど、金は無い。 それでその都度、試行錯誤の繰り返しで工夫をしていたが、それが愉しかった。 莫大な予算を湯水のように使えたら、あんなに愉しくはなかったんではないかと思う。

低予算でやっているから、撮影行為の大半はゲリラである。 「撮影禁止」の看板がある砧公園で、あたりを伺いながらこっそりカメラを回した。あとは、確か砧の浄水場だったかな、大正時代か昭和初期の旧い素敵な建物があって、どうしてもそこで撮影をしたいと云うことになった。それで、僕の建築学科の学生証を悪用した。浄水場のおじさんに「建築学科の学生なんですが、ぜひ建物を拝見させて頂きたく」とやったわけである。何も知らないおじさんは喜んで僕等を中に入れてくれた。そして僕が建物の説明を聞いておじさんを引き留めている間に他のメンバーが撮影をして回った。悪いことをしたものである。

手探りで映像を撮りながら気付いたのは、普段ドラマや映画、更にはTVニュースでよく見掛ける「何気ない映像」が、実は「何気なくない」と云うことであった。つまり、「本当らしく見える」ものも、それなりの手間を掛けて撮られた「嘘」だと云うことである。さり気ないアングルが、実際には高い脚立の上からでもカメラを回さない限り撮れない「絵」だったりするわけで、通常の人間の視点ではそのように見えないことが多々あると気付いた。

ある作品の撮影をしている時に「監督」が云いだした。「よく刑事ドラマなんかで、犯人の車に追いつめられた刑事の顔にヘッドライトがパッと当たったりするでしょう。ああ云う絵が撮りたい」。うん、よくある。しかしなんと云うベタな演出なのか。ともかく僕等はそう云う「絵」を撮ることになった。で、僕が家から車を引っ張り出してロケ地に全員で乗り付けたのである。
いざ撮影をしてわかった。「車のヘッドライトは人の顔に当たらない」。考えてみれば当然のことだ。車のヘッドライトが歩行者の顔にマトモに当たったら危ないことこのうえない。ヘッドライトは前方の路面を照らすものであって、人の顔を照らすものではない。そもそも車のヘッドライトは人の膝くらいの高さに付いてるじゃないか。僕等は全員、何かトッテモ深い真理を悟った心持ちになった。車など持ち出さず、撮影用のハンドライトか何かを調達すべきだったのだ。しかし、もう夜も遅い。アタマの好い誰かが云った。「車を上に向ければいいんじゃないかな」。そして我々一行は急勾配の坂道を探し回ったわけである。

ようやく目黒区のどこかの住宅街に驚くほど勾配の急な坂道を発見し、改めて撮影を試みた。急な坂道の上に役者を立たせ、僕の車は坂道の下から役者目がけて突進していく。なんとか役者の顔にライトは当たった。しかし監督が「もうワンテイクいきまあす」と云う。夜中の住宅街でこんな危ない撮影行為を少なくとも5、6回は繰り返したのである。若さはいつでも怖いモノ知らずだ。

こんな体験を幾つもして、僕等は僕等なりに映像の撮り方を学んだ。云いかえれば、「映像での嘘のつきかた」を学んだのである。今ならもうちょっと旨くやれるんではないかと思う。しかし、あのデタラメにやってた時の映画は、それはそれでワケのわからない力がみなぎっていたのである。知恵がつくと云うことは、上手に嘘がつけるようになることなのかも知れないが、上手な嘘ほどタチが悪いとも云えるのである。

雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

Comments

Comment Form

Trackbacks