プロデュース公演がもたらすもの「ミチユキ→キサラギ03」 ―発見する場所13
まずはこの場も借りて御礼から。劇都仙台2007 第10回演劇プロデュース公演「ミチユキ→キサラギ」に大変多くの皆様にご来場頂き誠に有り難うございました。個人的な反省は沢山あるのだが、いや本当にいろいろと楽しかった。
普段活動しているフィールドから離れて、様々なバックグラウンドを持った人々が集まって公演をつくる。これがプロデュース公演だ。この「離れて」と「様々なバックグラウンド」がポイントで、価値観もコミュニケーションの方法も全く異なることを意味しており、そこに公演制作の醍醐味もあるし、難しさもある。
今回「ミチユキ→キサラギ」のプロジェクトに参加させてもらって、一番実感しそして面白かったところは、まさにそこだ。簡単に言えば、つくるためにつなぐ。つなぐことでつくる。例えば、演出家のペリカンさんは、殆ど演劇経験の無い群衆役の人にも、キャストの樋渡さん達にも、同じ場面でそれぞれ適切な言葉のボールを投げる。単なる受けやすい言葉だけでもだめで、場合によっては少し取りにくそうなボールを投げることで、新しい可能性を広げていく。 制作の場面でも、ツアーの打ち合わせでホールの運営担当者に公演のプロモーションを展開する局面で、相手の求める部分に応じながら外しながら。もちろん失敗するとコンテクストが異なるため、ずれは中々解消できず、双方にストレスを生む。或はそれに気づきもしないまま公演制作は進んで行く。
1970年代頃から黒テントの手法をとっかかりとして演劇のワークショップがまちづくりの有力な手法として、取り込まれはじめた。今ではデザインゲームをはじめ多くの方法が提示されているが、本当はその手法よりも「離れて」と「様々なバックグラウンド」をつなぐという部分が、街をつくる根源的な部分を指し示しているからだろう。
打ち上げの時に、恒例の当日の頂きものリストが読み上げられる。自分たちが誰かに応援してもらっていることを実感するとともに、ある種の責任感を背負うような気もした。仙台という街のスケールでは、やはり顔が見える。しかし、当然見えていない顔もあるわけで、今回当日のパンフレットにも少し書かしてもらったように街につながるかが大きな目標だった。 そのことをあたふたと考えあぐねた結果、結局のところそれはプロデュース公演そのものだったような気もしている。
今回の「ミチユキ→キサラギ」のチームは、キャスト、スタッフ、制作総勢70名を超える。 もう二度と全く同じメンバーで同じことをする機会はないだろうが、そこで共感できた幾つかの言葉や空気は単なる思い出ではなく、一つのスキルとして街の中に溶けていく。
色々な課題があるにせよ、プロデュース公演が成り立つということは、都市のコミュニケーション力を示していると言えるかもしれない。 ペリカンさんは最初にこの舞台を伝説の舞台にしたいと語り。公演の最後に「ミチユキ→キサラギ」をトキワ荘のように、ここで関わった人が次のフィールドで新しい展開を見せることで、伝説をつくっていけるようにしたいと力強く語っていた。僕自身がそのトキワ荘の一人前の住人なれるかどうかは前途多難だが、都市で演劇がつくられる意味を、また一つ見つけたような気がしている。
仙台では次の戯曲賞の公募がはじまっている。2年後、作品、メンバーを含めてどんなプロデュース公演になるのかはわからないが、都市のコミュニケーション力が持続する限りきっと新しい展開がみられるはずだ。
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