Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

病院フィールドワーク? ―アルマイトの栞 vol.54

なんだか気がついたら年が明けて居た。それどころか2月ではないか。どうしたことかと思うほどに時間が経って居たのである。なにはともあれ、大変大変遅ればせながら今年もTetra Logic Studioを宜しくお願い致します。既にこのサイトでもお知らせした通り、昨年の10月にどうにか神田に事務所を構えることが出来て、これもひとえに皆様の御支援の賜だと感謝している次第です。事務所開設に際して多くの方からお祝いのメール等々を頂きました。ありがとうございました。この場でお礼を述べるのも些か遅きに失した感がありますが、改めて御礼を申し上げます。

さて、年が明けるのも実感出来ないほど、いったい何をして居たのか。師走から年明けに掛けて病院のフィールドワークをして居た。そう書けば少しは格好がよいのだけど、正直な話、入院して居たのである。自分でも予期せぬ展開の緊急入院だった。人生初の入院。それで、クリスマスも年越しも病院のベッドの上で過ごすハメになった。「起きて半畳、寝て一畳」の生活を3週間近く強いられたわけで、しかも放り込まれたのが消化器科の病棟で、つまり体のそう云う部分が悪かったのだけど、最初の三日間は栄養剤の点滴だけで絶食。四日目から食事が許されたが、粥だの菜っ葉の煮浸しだの麩や野菜の煮物だのと、まるで永平寺の坊さんの様な生活である。毎回の食事は一食当たりの脂質が10で、これはカロリーメイト2本分の脂質よりも微妙に少ない。どんな調理をすればここまで脂質を落とした献立が可能になるのか驚き入るばかりだった。

時折は何かしらの検査に呼び出されるものの、あとは主治医の回診や看護師が検温やら血圧測定に来るだけで、毎日これと云ってすることが無く、入院した日に慌てて詰め込んで来た荷物の中に一冊の本も入れていなかったことは失敗だった。「こんな時」だからこそ読む機会の生まれる本が自宅にはかなりあった筈だ。ジョイスの『ユリシーズ』とかね。なんだったら『資本論』とか『聖書』でもいい。大長編『大菩薩峠』なんか最高なのではないか。持ってないけど。長旅か入院でもする時間が無ければ読む機会の無い本は無数にある。まあそんな状況だったので、点滴のスタンドをゴロゴロと引きずりながら、7階の病室から病院の1階にある書店まで行って、何でも好いから読む物はないかと物色した。だが、さすがは病院に入っている書店である。置いてある本のラインナップが見事に「無難」だ。時代物小説なら、藤沢周平や司馬遼太郎はずらりと並んでいるが、間違っても山田風太郎は無い。確かに入院中に『魔界転生』を読みたがるヤツは少ないだろうな。推理小説なら赤川次郎はしっかりあるけど、江戸川乱歩は皆無。芥川や漱石はあっても谷崎潤一郎は無い。かろうじて三島が置いてあるあたりがボーダーラインになっているのだろうか。

小説はダメだと思って諦めて、振り返るとマンガの書棚だった。そりゃあ子どもだって入院してるだろうからね。『ドラえもん』はバッチリ揃ってる。しかし『ゴルゴ13』は無い。病院の書店で『ゴルゴ13』がしっかり揃って居たら、むしろいかがなものかと思うが。そんなことを考えていると、マンガの書棚の一番下に発見した一連の本がある。手塚治虫の『ブラックジャック』。これほど病院にふさわしいマンガがあるだろうか。「入院しながら『ブラックジャック』を読む」って、スペースシャトルに乗って『2001年宇宙の旅』を観るようなものではないか。迷うことなく数冊まとめ買いした。秋田書店から出版されている文庫版になったシリーズだ。買う前に入念に目次を確認して、読んだことの無い話が多いものを選んだ。

病室のある7階に戻ると、顔なじみになった若い看護師の女の子が「何か面白い本、見つかりました?」と尋ねてきた。それで、無言で『ブラック・ジャック』の表紙を見せたら、「あっ、やっぱり面白いですよね、『ブラック・ジャック』」と云う。やっぱりそうか。医療関係者には愛読者が多いのか。いや、むしろ子どもの頃に手塚治虫のこの作品を読んで医療の世界に進んだ可能性だって否定出来ない。子どもの頃の読書体験は往々にしてその人の進路に影響するものだ。これが「やっぱりヘレン・ケラー伝ですよね」だったら、なにか当惑するが、『ブラック・ジャック』なら肯ける様な気がする。

久しぶりに読んだ『ブラック・ジャック』はやはり面白かった。繰り返すが、なにせ「入院」と云う状況下で読んだので、自宅で読むのとは明らかにひと味違った醍醐味がある。読みふけっていると病院の外では救急車のサイレンの音。廊下を走るストレッチャーの音。自分の腕には点滴。視野の中ではブラック・ジャックが云う。「点滴静注」。そんなところへ主治医が前日の検査結果をプリントアウトした用紙を持って診断報告をしに現れたりするものだから、思わず僕は検査項目の一つ一つについて詳細な説明を求める質問をしてしまい、更にはその内容を克明にメモに取ってしまうのだった。挙げ句の果てには「その検査結果のコピーを一部ください」などと云い出す始末で、入院した自分の境遇を愉しんでいるのではないかと思われる様な振る舞いである。しかし、患者が自分の病状に自覚的になることは、医者も好意的に受け止めてくれる様で、主治医は僕の注文に応じてくれた。それがたとえマンガの影響であったとしても。

その様な次第で、多方面の方々に御心配や御迷惑をお掛けしましたが、ともかく無事に退院して一ヶ月近くが経ちました。入院中の味気ない食事に嫌気がさして居る中でポットに詰めた淹れたての暖かい珈琲を送り届けてくれたcafeichiさん、お見舞いのメールを下さった方々、退院祝いを下さった方々、本当にありがとうございました。目下、リハビリしながら徐々に現場復帰を図って居りますが、近頃は今さらながら部屋の大掃除をする程度に元気です。

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