Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

「川口百景」はデジタル可 ―アルマイトの栞 vol.49

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何気ない一瞬を、切り取ってポケットに入れて持って帰りたくなることがよくある。カメラを常に持ち歩くことが好いのだけれど、そんな光景に出遭う時に限って手ぶらだ。今日は素晴らしい光景に出くわすのではないかとカメラを持って出かけた時には、結果としてカメラはただのお荷物に終わってしまう。昨年の秋からTetra Logic Studioは写真公募展「川口百景」の企画に関わっているので、少しはカメラを持ち歩く習慣を再開しようと思っているのだが。

デジタルカメラを初めて手に入れたとき、なんとまあ自分にふさわしい道具なのかと思った。それまではずっと一眼レフのアナログだったのだけど、写真の整理そのものも不得手なら、さらにはフィルムの管理が全く出来ないのだった。だからフィルムも不要で、パソコンの中で整理が出来てしまうデジタル写真は自分のような怠惰な性格の者にとって絶好のシロモノである。なにより、現像代が掛からない。貧しき者には幸いである。

そう思っていたコンパクトなデジカメでさえ、近頃は以前ほど持ち歩かず、人はどんどん怠惰の坂道を転げ落ちるものだと思い知らされ、ついには怠惰の極みなんだろうか、携帯電話のカメラで遊んだりしているわけだ。携帯電話はとりたてて意識しなくても持ち歩くことになるから、必然的に常にカメラを持って歩くことになる。写真を撮ろうと意識する者がこんなことでいいのかとは思うのだが、そこは「オレ、プロじゃないから、絵描きなんで」とでも逃げるわけで、まあ間違っても自分で現像をしようなんてことは微塵も考えていないのである。

デジカメで撮った写真や、ましてや携帯電話のカメラなんぞで撮った写真に対して「あれは写真ではない」と口にする人が居る。その多くは写真のプロで、権威ある写真論からすれば、デジカメや携帯で撮ったものを「写真もどき」と位置づける意見は解らないでもない。プロのその種の発言をいろいろと見聞きしているけれど、どれも尤もな意見だと思う。しかし、「もどき」であれ、とにかく写真を撮ることがこれほど気楽な行為になったことは歓迎して好いのではないか。少なくとも、それを積極的に否定する理由は無い。デジタルな写真は、たんに便利なだけではなく、表現としての新しい面白さを十分に持ち合わせていると感じるのだ。「フィルム VS デジタル」みたいな図式で語ることじたいが、なにか違うんではないかと思う。フィルム写真に似ているけれども異なる表現ツールとしてデジタルを捉えれば好いだけで、そもそも僕はフィルム写真も好きである。さらには銀塩なんて、憧れてしまうよ。デジタルを含め、それぞれに魅力的で面白い。

「川口百景」の募集要項を作るときに、デジタル写真の扱いをどうするかが問題になった。デジタルはやっぱりまだ歴史が浅いからね、これはどうしても避けて通れない問題になる。いろいろと話し合った結果、ものすごく明確な答えが出たとは思わないけれど、いまの時代背景を考えればきわめて妥当で現実的な結論に至ったわけで、ともかく詳しくは「川口百景」の公式サイトを見てください。デジタルは可です。

「川口百景」の企画に関わっていながら、実のところ僕はあまり川口市を知らない。むしろこっちのほうが問題ではないか。携帯電話ではなく、せめてデジカメを持って川口に遊びに行こうと思う。「川口百景」は市外の人からの応募も大歓迎です。「キューポラのある街」から変貌しつつある21世紀の川口を、皆さんも是非カメラに収めて応募してください。

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