Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

気になること ―アルマイトの栞 vol.35

テレビのことが妙に気になる。「地デジ」とか云ってるアレだ。テレビを全く見ないわけではないが、かと云ってそんなにテレビっ子でもない。だから地デジはおろか、BSすら見られない環境である。当然、ケーブルテレビにも縁がない。もっぱら通常の地上波放送だけを見ている。しかし「地デジ」ってのはもうほとんど腹立たしいくらいの強制力だからなあ、いずれ近いうちに何か手を打たないといけない。手の打ち方にもいろいろあるようだけど、近所の蕎麦屋も床屋も客向けに液晶かなんかの薄型テレビを置いている時代だってのに、いつまでもブラウン管ではよろしくないのではないかと、妙な強迫観念を抱いてしまう。

そんな少しばかり時代遅れの環境でテレビを見ていると、近頃急に気になる現象がある。世間では高画質の液晶テレビだのプラズマテレビだのを盛んに喧伝していて、その種のテレビCMが次から次へと流れている。そして何でそこまで必要なのかと思うくらいの大画面のテレビをメーカは売ろうとしている雰囲気だ。で、邪推かも知れないけれど、どうもその「大画面」ってのを前提にするかのように、いろんなテレビ番組の字幕で使われる文字が極端に小さくなっているように思うのだ。ドラマの最後に流れるエンドロールの文字やスポーツ中継の画面の片隅に現れる試合状況を知らせる文字がとにかく小さくて読みづらい。わりと普通のインチ数のテレビで見ていて読めないのだ。「部屋を明るくしてテレビからは3m離れましょう」なんて云われた日には、いま見ているサッカーの試合が前半なのか後半なのかも読めやしない。

自分の視力に問題がないことは大学の健康診断でハッキリしている。いや、正直を云えば僕は右目がほとんど見えていない。しかし左目の視力は2.0あって、取り敢えずの日常生活は裸眼で通している。それでもテレビ画面の字幕が本当に読みづらいほど小さく感じるのだ。これって何かの陰謀なんではないか、と勘ぐってしまう。明らかに誰かが「大画面の高画質テレビ」を買わせようとしているような気がする。実際、その種の大画面テレビで番組を見ていると、字幕の文字は何の問題もなく判読できるのだ。この時点で「疑念」は「確信」に変わった。「誰かが大画面のテレビを普及させようとしている」と。

しかし個人的な趣味を云わせてもらえば、家庭に大画面のテレビが置かれている風景ってのは嫌いなんだ。「リビングの主役がテレビ」みたいなインテリアは大嫌いである。何か、空間として「貧相」なイメージを持ってしまう。極端かも知れないけれど、テーブルの上にチョコンと載るくらいのポータブルテレビなんかが好きなのだ。だいたいさ、「居間の主役がテレビ」っていつの時代の話だよ。高度経済成長期の三種の神器と何が違うと云うのだ。

見えない強制力による「地デジ」とやらに対応出来るように考えるか、それともテレビと云う文化と一切縁を切るか、そのどちらかだけど、やはり僕は俗な人間だからテレビは見たいわけだ。『タモリ倶楽部』は見たいからさ。でもとにかく大画面はやめたい。字幕に打ち勝つ他の闘争手段を考案しようと思う「地デジ」間近のいまである。

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