Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

ダメなので ―アルマイトの栞 vol.205

つげ義春さんの作品を集めた新潮文庫の『無能の人・日の戯れ』には、『無能の人』全6話と6編の短編作品が収録されており、全12編の作品は共通して主人公が「注文の途絶えたマンガ家」で、それらが作者自身をモデルに描かれているらしいことは知られた話だけれど、この一冊をマンガ家志望の子どもになどは見せない方が好いと思われ、いや、考えようによっては「注文の途絶えたマンガ家」のリアルさを教えるために見せた方が好いのかもしれず、しかし、「売れないマンガ家になれば好きなだけ散歩ができて、午前中から市民プールで泳げるステキな生活だ」と、誤った夢と希望を与えかねず、キケン図書でもある。

とにかく主人公は、いずれも「ダメな人」なのであって、本書に収録された’84年発表の『散歩の日々』の主人公の場合は、いつでもポケットに300円しか持っておらず、けれども「金を遣わないことに慣れてしまっているから」困ることはなく、300円あれば外出中に「煙草がきれても困らない」と独白し、その場面を読んでドキリとしたのは、よく自分も煙草代しか持たぬまま自宅と仕事場を行き来しているからで、そんな時ほどPASMOの残高も26円とかで、『散歩の日々』の主人公のように「野川沿い」を散歩すべきではないかと強く思う。ちなみに「野川」とは多摩川の支流で、作品に登場する「野川沿い」は調布駅の近辺を指し、主人公は深大寺まで歩き、参拝するが賽銭は出さない。

奇妙な偶然が現れるのは、吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟 』で、これは吾妻さんが「すでに忘れられた漫画家」の日々を転がった挙げ句に「ダメな状態」に陥って三ヶ月間の入院をするハメになった「A病院」の「別名アル中病棟」での日常を描いた作品だが、入院して一ヶ月が経って日中の外出を許されると、吾妻さんが毎日のように散歩する場所は野川沿いや野川公園で、入院患者たちが看護士に引率されて徒歩で遠足に出掛ける目的地は深大寺だ。それで何やら気になり、『アル中病棟』を丁寧に読みつつGoogleマップも開いて無駄に熱心に調べたら、「A病院」の見当が付き、つげ義春さんの作品と重ねたら、深大寺から南北へ各2.5キロほどの野川沿いが「舞台」だと、無駄に判明した。

無駄に判明したけれど、「ダメな人は野川沿いを散歩する」と云うフレーズが自分の中で流行ってしまい、自分のような者などは是非とも野川沿いを散歩しなければいけない気がして、どうせなら誰か連れが居た方が愉しいと思い、ここ最近ズッと「野川沿いをカメラ持って歩こうよ」と映像家の大津伴絵さんを誘い続け、まるで大津さんも「ダメな人」だと決め付けているかのようだが、絶対にソンナつもりはなく、彼が「つげ義春ファン」だからと云う純真な動機でしかないのであって、サブカルの人たちが口にするところの「聖地巡礼」みたいなもので、とは云え、なかなか実現せず、きっと大津さんに何度も何度も「ダメな人は野川沿いを散歩するんだよ」と力説した自分の誘い文句がダメなのだ。

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