Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

顔を探す ―アルマイトの栞 vol.187

やはり、それほどまでに論じたい人が多いテーマだったのかと思わざるを得ない雑誌ユリイカの臨時増刊『総特集 イケメン・スタディーズ』をパラパラと眺めれば、ここぞとばかりに「イケメン」の容姿に関する議論や考察が繰り広げられ、人の顔を取り挙げたうえで縦横無尽に論を説き起こす内容は、ナンシー関さんの『小耳にはさもう』以来の快挙ではなかろうかと勝手なことを考えたりしたが、何の根拠も在るわけではなく、ナンシー関さんの彫った「消しゴム版画の滝沢秀明」を思い出しただけだ。そして、ちょうど「どこかにイケメンは居ないか」と探している最中でもあるのだが、決して私的な動機からではない。

『イケメン・スタディーズ』で、取り挙げられるべくして取り挙げられている一人が阿部寛さんで、石田美紀さんによる論考の表題が、「阿部寛 顔との闘い」だ。大変なことである。己自身の「顔」と「対峙し、闘い、決着をつけ」ているらしい、阿部寛さんは。つくづく「阿部寛に生まれなくて、よかった」と、胸を撫でおろすワケの判らなさではあるけれど、俳優を探している知人が「誰か知り合いにオダギリジョーっぽい人、居ない?」などと尋ね回っていたりすることも、相当にワケが判らないのであって、本人に直談判するのが好いのではないかと思うものの、「オダギリジョー本人」ではなく、「オダギリジョーっぽい人」でなくてはならない抜き差しならぬ事情でも存在するのか?

それはそうと、「っぽい」ではなくて構わないので、「どこかにイケメンは居ないか」と探すハメになったのは、YouTubeで昨年7月に公開した半村良さん原作の映像『環章』の次回作にあたる映像を制作する話が原因で、半村良さん関連映像としては3作目になるわけだが、映像化する原作SFを選んだまではイイけれど、協力してくれている映像家の大津伴絵さんと自分が「俳優を出演させるべきだ」との構想を同時に抱いてしまい、それゆえ自分たちで障壁を築く結果となり、知り合いの俳優に該当者が見当たらないから、「どこかにイケメンは居ないか」と口走って回る事態に発展し、街中や電車の中などを見回しては、明らかに未成年の人を凝視したりするもので、振る舞いが変質者である。

そもそも半村良さんが主人公の容貌を「ハンサム」としか書かないから、キャスティングに行き詰まる。ためしに辞書で「ハンサム」の項目を開けば、その解説は「美男子」で、これでは同語反復にしかならず、何の解決にもならないばかりか、『イケメン・スタディーズ』のインタビューに登場する俳優などの8人全員さえ該当者となってしまい、絞り込みようがない。この際、青土社のユリイカ編集部が責任を持って「イケメンの類型化」みたいなマトリクス図でも作成してくれないか。XY座標の図上に事例を配置する、アレだ。それで座標軸の一本を「普通っぽい ー 超能力者っぽい」にしてくれれば、その図を片手に街中を物色するのだが、まるで自分は怪しいサーカス団の人さらいかと思う。

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