Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

誘う中略 ―アルマイトの栞 vol.162

ある学校の入試で出題された「以下の文章を読み、著者の意見を要約し、あなたの考えを1,200字程度で書きなさい」と云う小論文問題を、過去7年分に亘って、つい見てしまった。いや、見てはマズイことはなく、かと云って、自分が受験するわけでもなく、無駄な好奇心に過ぎず、呑気に「難しいなあ」と呟いて終わる理由は、その「以下の文章」が、古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』からの引用だったりと云う、近道を巧みに隠した思索の迷路が待ち構えるからで、しかも引用中に4箇所も「中略」とあり、「略された箇所も読みたいよ」などと不満を漏らす自分は、受験生としての資質において、すでに失格である。

それでも「中略」の4箇所が無性に気になり、原著を手に取ってしまい、もしや「入試」の姿を借りた「メディアミックス戦略」とやらではないかと疑い、すると自分はマンマと相手の罠に掛かったのだ。『絶望の国の幸福な若者たち』が愉しい刺激物だったから、罠だとしても素直に礼を述べたいが、誰に礼を述べれば好いのか判らず、途方に暮れる。少なくとも見方によっては、「中略」が気になると、課題文は映画の「予告編」のようなものになり、出典の原著をキチンと読みたい誘惑に襲われ、とは云え、中略箇所を気にする者が試験に不向きなのも事実で、例えば、算数の「ある人が鉛筆を20本買いました」と云う問題文に対して「その人は漫画家ですか?」と問う者が、怪訝な顔をされるのと同じだ。

301ページの単行本『絶望の国の幸福な若者たち』から、7ページ分が入試の出題範囲だった。そのうち4箇所を中略とした結果、課題文は原著の1ページ分くらいの量に圧縮されている。抜粋範囲の7ページですら、総ページ数の約2%でしかなく、さらに削って1ページ程度の量だと、全体の約0.3%だ。大胆に削ったものである。だが、映画の予告編も、2時間前後の本編から抜粋して3分程度だから、これも本編の約2%で、テレビCM用の予告編ならば、さらに削って15秒程度となり、これは本編の約0.2%で、抜き出す割合だけを見ると、やはり入試の課題文は予告編ではないのか?。受験生当時の自分が、模試の帰りに何度も課題文の原著を求めて書店へ入ってしまったカラクリの正体は、コレだ。

そもそも、「中略」と云う表記じたいが、「予告編」としての誘惑の根源かもしれず、隠されるから知りたくなる。それで、課題文のどこに何箇所の「中略」があるのかと気になって、その過去7年分の小論文問題を見直した。「中略」が4箇所の『絶望の国の幸福な若者たち』は、数だけ見れば「中略」が最も多く、つまり「誘惑だらけ」の事例だ。そうかと思うと、別の出典の課題文で「中略」の無い事例が一つあり、そんなネタバレをやらかして「予告編」の役割は大丈夫かと心配しつつ読んだら、引用の終わった後ろに、堂々とした一語が控える。「後略」。強気に「結末は劇場で」の大作だ。案外、この種の大作はスピンオフのほうが名作だったりもするのだが、出典のスピンオフって何だろうか。

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