Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

不意にパンクを思う ―アルマイトの栞 vol.155

出し抜けに、と云うか、やにわに、と云うか、とにかく何だか判らないが、突然に思ったのである。「あのエンディングの曲はパンク・ロックでも好かったのではないか、たとえば『毛皮のマリーズ』のような」。それを独り言で口走ったとして、仮に誰かが自分のそばに居ても、ほぼ確実に意味不明で、なぜなら自分はヘッドフォンで「毛皮のマリーズ」のアルバムを聴いている最中だったからだ。スピーカから音を出していれば、そばに居合わせた誰かも「ああ、こんな感じの曲ね。で、何が?」とでも相づちを打ってくれるかもしれないが、ヘッドフォンと云うやつは、えてして人を「寝言じみた独り言を口走る者」にする。

「あのエンディング」とは、昨年8月にYouTubeで公開した映像『半村良の空想力』のエンディングのことだ。公開から10ヶ月も経って、「何を今さら」と自分でも思うが、無性にエンディングの曲をパンク・ロックに差し替えてみたくなり、いっそエンディング曲だけ異なる「パンクED版」でも作ろうかと考え、しかし、そんなものを誰が視聴するだろうか。いま公開している本編すら、視聴者がどれほど居るのか怪しいと云うのに。では、エンディング部分だけ抜き出して、「初回公開版ED」と「パンク版ED」を公開するのはどうか。いや、冷静に考えるなら、それは尚のこと「誰が視聴するのか」である。楽曲に「電気グルーヴ」を起用しているような番組と同列に考えた自分が、すでに愚かだ。

それならば、他の半村作品をYouTube用の映像に仕立てる機会を狙って、パンク・ロックのテーマ曲を持ち込めば好いのだと考えを改めてみたものの、そこでヘタをすると、「パンクありき」で映像を作り始めかねず、何やら本末転倒なことになりそうである。パンクバンドのPVを作りたいわけではなく、ましてや、映画『少年メリケンサック』に対抗した映像作品を画策しようなどと云う野望も蛮勇も全く持ち合わせていないのだから、コトの後先だけは誤るべきではない。そう自分に云い聴かせておきながら、「どの半村作品ならパンクと相性が好いだろうか」と云う眼差しで半村作品をパラパラと読み直す自分が居る。「この作品を読んでパンクを感じたんですよね」と云う方便まで考え、タチが悪い。

方便だけなら何とでもなるが、「パンク・ロックのテーマ曲」の前には大きな壁が屹立する。「先ずパンクバンドを結成せねばならぬ」。自分で書いていて、馬鹿ではないかと思う。バンドの構想から始める映像制作があって好いのか?。しかし、「パンク」なら「バンド」だろう、やはり。「部屋に籠もって一人でMacで作るパンク」では、なんかダメだと思う。スタジオに集まって「窃チャリ2ケツでフォレバラン WITH YOU」みたいな歌詞を叫ぶのがパンクとして正しい、ような気がする。そして、映像用の一曲だけ作ってレコーディングしたら解散するしかなく、結成前から「幻のパンクバンド」になること必至だと、真剣に考えて煙草を吹かしつつ雲を眺めてる時点で、「構想」ではなく「妄想」だ。

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