Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

意図していない ―アルマイトの栞 vol.154

方向性を手探りのまま動画で何か創ろうとすると、偶然に「イイ感じの円形の虹」が出たりするので、困ったものだ。晴れるのを待つ「天気待ち」は屋外ロケに付きものだが、「虹待ち」と云う話を、知らない。動画に限らず、「特殊な効果」ほど、狙って旨くいく場合は少なく、そうかと思うと、つい自分の不注意で、描きかけの絵の上に大胆に垂らしてしまった絵の具がキレイだったりして、それも困ったものだが、「キレイ」の前において、作り手は無力である。その偶然を認めるしかない、と云うか、「自分の画力」とか全く関係無いわけで、極めて好都合このうえない。そして、「狙った」と必ず云う。

それにつけても、よりによって防災無線のスピーカに後光が射すことはないじゃないか。どんな状況設定にすれば「後光の射す防災無線スピーカ」を演出に採用できるのか。とりあえず、後光が射してしまったからには、防災無線のスピーカから読経の声でも流すしかないように思いこそすれ、それで、どうするのだ。そもそも、そのシーンは、物語の冒頭なのか、中盤のアクセントなのか、それともエンディングなのか。だいいち、それは、どんなストーリーの物語なのか。防災無線のスピーカと云えば、夕方5時に『夕焼け小焼け』の鳴るのが常である。だとすれば、物語の設定は「夕方5時に防災無線スピーカから『仏説聖不動経』の流れる町」で、それならスピーカに後光も射そうと云うものだ。

さて、そこから物語をどう展開するのかが難題なのだが、べつに、そんな物語を考えねばならぬ事情は全く無いので、考えたところで、どうしようも無いわけである。むしろ、既存の映像作品の冒頭に「後光の射す防災無線スピーカから『仏説聖不動経』」のシーンを置いてしまえば好いのじゃないか。例えば、『2001年 宇宙の旅』の冒頭。それではタダのイタズラだ。しかし、いろんな映像作品の冒頭に置いたなら、「そんなオープニングの映画会社」みたいに見えないだろうか。東映だと「岩に波がぶつかって『東映』のロゴ」のアレだ。つまり、「後光の射す防災無線スピーカから『仏説聖不動経』がオープニングの映画会社」と云う、映像本編とは無関係な「設定」である。

すると、社名は「天竺」とか云う映画会社で、本社所在地が人外魔境の恐れもあり、一般的な意味合いとは異なる意味で、就職するのが大変そうだ。採用の内定を取った学生が友人たちに告げる。「オレ、天竺に行くんだ」。それはスゴイよ。何の話だろうか。偶然に「イイ感じの円形の虹」が出るから、いけないのだ。その虹が現れたのは、舞踏家の細田麻央さんを中心に画策している動画サイト限定の舞踏公演の撮影中だった。それなら、「後光の射す防災無線スピーカ」は麻央さんの舞踏映像に加えるべきじゃないかと云うことになるが、いずれにせよ、誰も意図しなかったシーンで、しかし「キレイ」の前では全員が無力で、ともかく関係者全員が「狙った」と口裏を合わせて公言するほかない。

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