Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

出て来る連鎖 ―アルマイトの栞 vol.152

2010年10月に、映像家の大津伴絵さんと一緒に曼珠沙華の花を撮影して歩いた。その翌年の9月が本番の公演で、曼珠沙華の映像を投影すると好いのではないかと考え、本番直前だと曼珠沙華の季節には少し早いと気付き、慌てて二人で出掛け、満開の時期こそ逸したものの、どうにか映像素材を集めることには成功し、「一年前に準備万端の自分たちは偉い」と、互いを誉め讃えたものだが、演出の人は全く興味を示さなかった。お蔵入りにされた曼珠沙華の映像を、「今度こそ使える」と大津さんが掘り出してくれたのは先週だ。デート中のカップルしか居ない浜離宮恩賜庭園を男二人きりで歩き回った一日が、やっと報われる。

半ば冗談のような本気のような話題から転がり出たことだが、舞踏家の細田麻央さんを中心にして、動画サイト限定の「舞踏公演」を作ってみることになり、大津さんと一緒にMAOダンス・スタジオへ出向き、打ち合わせらしきことをして居たら、何やら色々と掘り出されて来るのである。先ず、MAOダンス・スタジオが、「スタジオなのに」なのか、「スタジオだから」なのか判らないが、ともかく何やらゴロゴロと色々なモノの現れる魔窟みたいな場所で、無造作に洗濯機が置いてあったりする。建物の中に洗濯機の存在することじたいは何も不思議ではないが、ガレージの真ん中にポツンと洗濯機が居るのだ。「孤高の洗濯機」と云うか、もし’60年代の前衛美術ならば「純粋洗濯機」とか呼ばれる。

そして、洗濯機の傍らに燭台が居た。シュルレアリスム系の美術家に見せでもしたら、「ガレージの中での洗濯機と燭台との偶発的な出会い」などと口走りかねない。「偶発」であることは、確かだと思う。しかし、そんなことを云い出したらキリが無い状況で、インド人が住んでるのかと錯覚する屏風やら、何か思いつめたような顔をした人形やら、どんな小柄な人が使うのかと思うような無闇に小さい卓袱台やら、売ってるのかと思う程の数のストーブだのが、スタジオの中のあちらこちらに転がっている。一つのストーブの上に、漫画本が何冊か積んであった。『マカロニほうれん荘』。いつの時代だ。モノどころか、時間までゴチャゴチャで、2010年10月撮影の映像素材も掘り出されようと云うものだ。

すると自分も、すっかり忘れて居たモノを掘り出すのは必然らしく、麻央さんが「踊りのための筋書きが欲しい」と発言した際、自分の「お蔵入りプロット」を思い出した。2003年に書いた舞台公演用のプロットで、当時、関係者へ配って「どうしようか」と呑み屋に集い続けた挙げ句、上演には至らなかったシロモノだ。まさか10年後に持ち出すことになるとは思わなかったが、麻央さんたちに渡した。曼珠沙華の映像が掘り出される一方、そのプロットは薔薇の話で、10年前に書いた自分の思考は忘却の彼方だが、一つ掘り出したら、作りっ放しの舞台美術めいたモノが幾つも在るのを思い出し、思い出すそばからスタジオへ持参したくなるものの、目的を見失うと単なる廃品投棄になってしまう。

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