Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

相性との相談 ―アルマイトの栞 vol.150

時折、なんとなく適当なページを開いてパラパラと眺め読みしたくなる本が幾つか在り、その種の本は、とりたてて読みたい本が無い場合にカバンへ入れて持ち歩きたくなるもので、ましてや、新幹線などで長時間の移動をしなければいけない時の暇つぶしが何も見付からない場合は、その種の本が絶対に必要なのだが、その「なんとなく」にも一応は「気分」が影響し、何冊かの「その種の本」から気分に応じて選ぶことになる。すると、自分にとって心配なのは、「なんとなく適当なページを開いてパラパラと眺め読みしたくなる本」の中に『国宝 阿修羅展』の図録が存在することだ。外出の友としては、サイズが悩ましい。

そんな場合に、電子書籍なら便利なのかと思いはするが、そもそも自分は電子書籍に手を出して居ないので、詳しい事情は知らない。先月、友人が「初めて電子書籍を買ってみた」と、タブレットで開いたページを見せてくれたが、彼の感想は「厚みが無いから、あと残りがどれくらいで読み終わるのか判らなくて不安になる」だった。それはそうかも知れない。彼が何を読んで居たのか忘れてしまったが、もし、何も知らずに『大菩薩峠』をタブレットで読んで居るのだとすれば、いくらページをめくっても、機器の誤作動かと思うほどに、終わらない。『大菩薩峠』全巻を手軽に持ち歩けることじたいは「夢のようじゃないか」ではあるが、『大菩薩峠』を読んだことのない自分には関係の無い話だ。

運ぶ行為を考えた場合に、大きかったり、重たかったり、かさばったり、その全てだったりするモノほど、電子化とは相性が好いのかも知れず、先ず音楽がそうだった。それで、ふと考えるのは、舞台公演もナントカならないものかと云うことで、つい先日、舞踏家の細田麻央さんらと無駄話を支離滅裂に続けて居たら、「動画サイト限定の公演とかをやってもイイんじゃないか」と云うような話題になり、「自宅で踊れば会場使用料はタダだ」などと喜び、自分らの「ヴィジョン」と呼ぶには、いかがなものかと思う視点の低さである。対外的には「デジタル化時代におけるパフォーミングアーツをアグレッシヴなストラテジーでコンテンツ化」とか云わねばならない。自分でも何を云ってるのか不明だが。

どんな動機を口にしようとも、会場使用料がタダとなれば、たいていの舞台関係者は目を輝かせる。だから、支離滅裂な無駄話から偶然に転がり出ただけとは云え、「動画サイト限定の公演」と誰かが口走った時、居合わせた全員の目が輝いてしまった。致し方のないことである。しかし、冷静に考えて、動画サイトでの公開に限定した舞台公演の場合、観覧料の徴収はどうするべきなのか。公開する動画の脇に「1クリックで¥500」とでも記したボタンを配置して、電子「投げ銭」システムと云うことにすれば、「投げ銭」ですら「電子化の時代」だ。但し、そのボタンの下に読みづらい小さな文字で「*単位:千円」とか書いては絶対にいけない。

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