Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

相手になる話 ―アルマイトの栞 vol.125

英語であれ、日本語であれ、言語を外国語として習得するならば、「会話」は確かに有効な手段である。そのような「会話」の相手役を、月に1、2回で好いからやって欲しいと知人から頼まれた。そのくらいの頻度なら、まあ構わないかと思って引き受けた。引き受けて、気付いた。何を会話すれば好いのだ。「さあ会話しましょう」などと始まる会話を経験したことがない。そもそも他人同士の会話において、話が初めから終わりまで噛み合い続けることなど、ない。もしそんな状況があるとすれば、それは虚構の世界だ。いっそのこと、吉田戦車さんの『伝染るんです。』を台本にして会話するのはどうか。登場人物たちの会話は常にすれ違うが、じつのところ、日常会話とはそんなものだ。

思い返してみれば、かなり以前にも同じような「会話の練習台」としての相手役を、なんとなくではあるが、二人の人から別々に頼まれたことがある。その一人はマレーシアからの留学生だった。もう大学も夏休みに入ろうかと云う頃、屋外の陽差しは随分と強く、その人に会うなり「ひどく暑いねえ」と口にしたら、その人は云った。「私の国はもっと暑いです」。二の句が継げない。会話を打ち切りたいのか。もう一人はアメリカ人で、ある日、その人の買い物に付き合うことになり、どこへ出掛けて品物を探すのが好いかと相談されたものだから、「ともかく、渋谷」と提案した。すると、その人は驚いて訊き返した。「シベリア?」。どんな聞き間違えをするのか。

しかし、繰り返すが、日常会話とはむしろそんなものだ。母国語が同じ者同士でも、どうなるか判ったものではない。卒業研究のテーマ申告を悩みながら手書きしている数人の学生の傍らに、たまたま居合わせたことがあった。「児童公園の計画」だかをテーマにするらしい学生が、誰に尋ねるでもなく呟いた。「児どうの『ドウ』って、どんな字だっけ?」。向かい側に座っていた学生が即答した。「カッパのパ」。確かに「河童」だ。しかし、この場合「童」は「パ」なのか?。尋ねた学生が「パ?」と間抜けな大声を出し、そのあとにはしばらくの沈黙が場を支配した。まるで『伝染るんです。』を実演でもされたような会話の光景が、いとも簡単に自然発生してしまう。

思うに、日常会話の大半を占めているのは「すれ違い」と「沈黙」ではないのか。だとすれば、「日常会話の相手役」としては「すれ違わせ」「沈黙させ」なければいけない。「円滑なコミュニケーション」など絵空事に過ぎないことを思い知らせたほうが好い。顔を会わすなり「なんか急に鷹匠になりたくなってさ。カッコイイよねえ、鷹匠」とか云ってみようか。先方が返す言葉を失うか、聴こえないフリをして「珈琲、飲みますか」と口走れば成功だ。だが万が一、その人が猛禽類について無闇に詳しく、「お薦めの鷹匠グローブのブランド」などについて語り出したら、どうするのか。自分は鷹匠のことなど何も知らない。自分が沈黙するか、すれ違うかだ。「鷹は餓えても穂をつまず」。何の話だ。

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