Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

逃避の連想ゲーム ―アルマイトの栞 vol.108

どれほどジタバタしたところで、本番の9月23日(金)が一週間後に迫った鈴木一琥さんの『龍の声』ではあるが、何を思ったのか、マグロを眺めに水族館へ出掛けてしまう自分なのだった。夏休みの終わり頃とは、片付かない宿題に怯える気持ちを抱えながらも、えてして水族館などに出掛けて束の間の現実逃避を試みたりする切ない時間だ。公演会場の第五福竜丸展示館は最寄り駅が新木場だが、その一駅隣に葛西臨海公園があったりすることも誘惑の原因である。福竜丸がマグロ漁船だったことに思いを巡らせていたら、隣駅の水族館がアタマの中にいきなり現れた。その水族館に、数多のマグロやカツオが回遊する大水槽のあることを、たぶん十数年ぶりに思い出したのだった。

福竜丸からの連想でマグロやカツオの群れを思い出して出掛けたにもかかわらず、目的の大水槽が順路の奥だったものだから、その手前でかなりの時間を費やした。混雑していたわけではない。むしろガラガラで、どのコーナーも見放題だ。それで、「東京湾の深海魚」などと云うコーナーに見入ったり、「タツノオトシゴ」のコーナーでは「そうだ、来年の年賀状のモチーフにしよう」と思いつき、タツノオトシゴが自分のカメラに近寄って来るのをジッと待ったりした。タツノオトシゴを旨く撮影するのは難しいものです。何をしに来たのだ、自分は。マグロのことを忘れかけ、それではホントに「宿題から逃げたい子ども」ではないか。

大水槽まで辿り着いたら、今度はそこに居座って長時間を過ごした。マグロやカツオが群れで回遊しているだけの光景なのに、なぜか飽きず、大水槽の全体を眺めたり近寄ったりを繰り返した。泳いでいる魚に関する説明プレートもキチンと読んだりする。こんな時ほど、英訳文までシッカリと読んでしまうものだ。「マグロ(Tuna)」。「ツナ」なのである。初めて知った時には笑ったが、やはり笑ってしまうのはなぜなのか。マグロからしてみれば、笑われるのも迷惑な話で、魚類の中からマグロの見分けなど付かない子どもでさえ「ツナ、大好き」と口走ったりする日本語の在りようが不可解なのだ。そして案の定、「Tuna」を目にしたカップルが囁いた。「肉のとこが、シーチキン?」。

大水槽の前を離れたら、こんな場所でも迷子になり、順路を二周していた。無意識のどこかに、束の間の現実逃避を延長したい気分があったのかも知れないが、ともかく福竜丸をキッカケに「マグロについて考える」と云う大義名分を思いつき、それを盾にして宿題を強行突破しようと目論む自分がいる。「福竜丸」「マグロ」と並べば、次に「水爆実験」を連想することは真っ当だが、水爆の次に自分のアタマの中に現れたのは、よりによって「ゴジラ」だ。急に映画『ゴジラ』を観たくなり、それは呆れるほど往生際の悪い逃避心理である。しかし、観たい気分のシリーズ第一作に限って、近所のレンタル店には無い。この期に及んで、まだ『ゴジラ』を探しているが、そろそろ観念したらどうなのかと思う。

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