Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

切り貼りのホンネ ―アルマイトの栞 vol.91

地道に地道に「半村良オフィシャルサイト」は更新を続けている。盛り込まなければならない内容はまだまだ残っている。そして公式ツイッターも、ほぼ一日に一つずつは半村作品からの引用を中心に「つぶやき」続けている。作品からの引用だから、「ネタバレ」しないように気を付けなければいけない。同じ作品から立て続けに引用することを避けたり、作中とは異なる順序で引用しているわけで、つまりは可能な限り引用がデタラメに並ぶようにしている。「デタラメを心がける」のは難しい。と云うか、「心がける」ことなのだろうか。もっと他に心がけることがあるのではないか。

半村良さん本人にしてみれば、自身の書いたものをデタラメに切り貼りされるのは迷惑かも知れない。しかし、実際にこうしてランダムに引用を並べていくと、思いも掛けぬ発見をする。様々な半村作品から抜き出したフレーズをデタラメに並べることで、半村さんの「無意識の思考」のようなものが見えたりするのだ。一つの作品からでは読み取るのが難しい「半村良」が、切り貼りの中に現れてしまう。当初、自分では全く思いもしなかったが、これは明らかに「カットアップ」の技法そのままである。そう気づいたら、この作業が愉しくなってしまった。他の作家で同じことをしても興味深いことになる筈だ。作家本人も意識しなかった「作家のホンネ」をあぶり出してしまう作業である。

たとえば、半村良さんの小説には脇役のような立場でしばしば小説家が登場したり、半村さん自身もインタビューや対談の中で「小説家」と云う職業について語っているが、それらの「発言」を並べると、理路整然とは程遠い「小説家観」が現れる。小説家を「いてもいなくてもいい人間」と断じたかと思えば、「作家になるのは難しい」と語り、「しあわせな商売」の一方で「でたらめな話を作るのはかなり困難な作業」だと吐露する。もし小説家志望の者がこれらの発言を一人の作家から聴いてしまったら、どう思うだろうか。己の目指しているのは「しあわせだが困難な作業をする者で、なるのは難しいが、いてもいなくてもいい人間」である。進路を考え直しそうなものだ。

こうして浮かび上がる半村さんの「小説家観」はワケの解らない矛盾に満ちたものだが、つまりはそれが小説家に対する「半村良のホンネ」ではないか。半村さんが小説家志望の者に出会ったとするならば、口に出すコトバは様々であれ、それらのコトバが溢れ出す気持ちの源流は一つかも知れない。「考え直したほうが好い」。しかし、誰かに進路を相談されて、そのようにハッキリと返答出来る人はそうそう居ない。得てして遠回しなコトバをいろいろと並べて断定を避けるものだ。だからこそ、道を踏み外す者はあとを絶たない。既に故人の半村さんに今さら「小説家志望」の相談をするわけにはいかないので、当面はデタラメを心がけつつ切り貼りのツイッターをせっせと続けてみようと思う。そのうち半村さんが枕元に現れてホンネを口走ってくれるかも知れない。「もっと他に心がけることがあるのではないか」。

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