Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

知名度シャッフル ―アルマイトの栞 vol.86

作家の半村良さんに関わる仕事が本格的に動きだし、半村さんの著作権継承者であるKさんのお宅に頻繁に伺っている。半村作品を読むことも継続中である。『不可触領域 』の次に読んだのは『産霊山秘録(むすびのやまひろく) 』で、その次に『石の血脈』を読み、今さらながら半村良さんの伝奇SFにのめり込んでいる。小学生の時に『戦国自衛隊 』を読んだのは、それが映画化されて作品の知名度が世間一般に高まり、TVでも予告編が流れ、その映像が子ども心に衝撃的だったからだ。しかし、それきり半村作品は殆ど読まずに通り過ぎた。子どもの頃から「歴史の謎」みたいな話題が大好きな自分としては、通り過ぎたことが不思議である。「半村良」の名前は憶えていたし、角川文庫だった頃の『石の血脈』の背表紙を書店で見てもいたが、違う作家の作品だと思い込んだ。失礼なヤツである。

半村さんに関わる今回の仕事の話が転がり込んで以降、事ある毎に「半村良って作家が居るでしょ」と周囲の人に尋ねている。「半村良」がどのような知名度なのかを、何となく探っているのである。尋ねてみる相手はおおよそ自分と似たような世代なのだが、戻って来る反応には勘違いが多い。最初に尋ねた相手は「半村良」の名前こそきちんと解ってくれたものの、「ジュブナイルSFを書いてた人だよね」と答えた。その答えにこちらが首を傾げたら、その人は続けて云った。「えっと、『ねらわれた学園』とかでしょ」。それは眉村卓さんだ。また、別の友人は、やはり半村さんの名前を「知っている」と答えたうえで「でも『幻魔大戦』は映画しか観てないけど」と付け加えた。平井和正さんと混同している。こうして何人かの人に尋ねて回るうちに奇妙な事実を発見した。半村良さん、眉村卓さん、平井和正さんをゴチャゴチャにしている人が大勢居る。

自分も、実のところ偉そうな口を利けた立場ではない。やはりある時期まで、半村良さんと平井和正さんがゴチャゴチャになっていて、その中に僅かながら眉村卓さんも混じっていた。どうもこの種の「知名度シャッフル」とでも名付けたくなる混乱が、自分の場合は他の作家についても生じている。例えば、国木田独歩と田山花袋が、今でもアタマの中で一緒くたになっている。『牛肉と馬鈴薯』『武蔵野』『田舎教師』『布団』と作品名を並べられて、どの作品がどちらの作家によるものか答えろと問われたら、全問正解する自信が無い。そんな混乱に至った原因は、たぶん中学や高校の国語の教科書だ。教科書の中で、この二人は常に並んで現れた気がする。漫才師でもないのに、いつも二人揃って現れるわけで、そこから生じる混乱は、「青空球児・好児」のどちらが「球児」で「好児」なのか判らなくなるのと似ている。

では、半村良さん、眉村卓さん、平井和正さんが何故ゴチャゴチャになる傾向にあるのか。少なくともこの三人が国語の教科書に登場した記憶は無い。そうなると、混乱の原因として疑わしいのは映画である。『戦国自衛隊』も『ねらわれた学園』も『幻魔大戦』も映画化されたのは1980年前後で、しかも全て角川映画だ。自分が小学生から中学生だった時期に、角川映画を否応なく多量に浴びているのである。矢継ぎ早に公開される作品の全てを観ていなくても、予告編だけはTVで必ず繰り返し目にしていたわけだから、記憶も印象も混乱しようと云うものだ。今のところ、「半村良」と聞いて「ああ、『時をかける少女』の原作者だよね」と勘違いする人には出遭っていない。この事例が現れると、ゴチャゴチャの中に筒井康隆さんが混じることになる。4人の知名度がシャッフルしたなら、これはもう漫才師の区別どころではないが、ある友人は「半村良」と『戦国自衛隊』と聞いて、「う~ん、『セーラー服と機関銃』は観ました」と答えた。シャッフルしているのは、むしろ角川映画の知名度だろうか。

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