Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

歌われている場所 ―アルマイトの栞 vol.82

頼まれた原稿が行き詰まって、と云うか、一字も書き出すことが出来ず、考えるばかりの状況に陥り、そんな時は全く関係の無いことをしてアタマの中を一回カラッポにしたほうが好いから、ボンヤリと寝っ転がって何時間も音楽を聴いていた。行き詰まったコトバを追い払うために、インストではなく、歌詞のハッキリしたものばかりを聴いたら、歌われているコトバがいつもより気になった。歌詞に対して「その場所はいったいどこだ」と今さら思ったりするわけである。「湾岸道路」「雨のエア・ポート」と歌われているだけで勝手に羽田空港を想像して何年も聴いていた曲だが、特定の地名が歌詞に織り込まれているわけではない。新潟空港を思い浮かべたとしても、咎められる理由は無い。ムーンライダーズの『モダーン・ラヴァーズ』の歌詞だ。

例えが古くてどうかと思うが、もしその曲が『六本木純情派』だったら、歌われている場所は東京の六本木だろう。以前、東京から随分離れた土地で「スナック六本木」と云う店を見付けたが、たぶんその店を歌ったものではない。楽曲のタイトルや歌詞に場所の固有名がハッキリと書かれている場合はともかく、そうではない楽曲の歌詞に場所を暗示する表現の有るとき、それを聴く者のアタマの中に浮かんでいる情景は十人十色の筈で、それは考えるまでもなく当たり前のことのように思われるのだが、実際のところはそんな個人差を一切気にせずに、複数の者たちが同じ曲を「好きなんだよね」と口にする。そのような会話の場で、滅多にその「個人差」が表面化しないのは、おそらくその個人差がその者の「個人史」に基づく無意識の思い込みだからで、更には、あたかも全員が同じ情景を思い描いてその歌を聴いているかのような錯覚をしているからだ。

だからこそ、この「個人差」が誰かとの会話の中で露わになると、互いに酷く驚くことになる。キャンディーズが解散しつつ『微笑がえし』を大ヒットさせていたのは小学生の頃だった。場所を特定するような地名も何も出てこない歌詞の中で繰り返されるのは「お引っ越しのお祝い返し」のフレーズだったが、何人かの同級生が「これはアパートの一階から引っ越すんだ」「二階からだよ」「一軒家だ」と云い争いを始めた。どうだっていいじゃないかと思いはしたが、彼らがそれぞれに強く主張する態度には驚いた。態度こそ強いものの、誰の主張にも確たる根拠や説明は無いのである。そんな、不毛とも呼べる云い争いの状況を、別の一人が更に複雑なものにした。「これは大阪やねん」。いきなり何を云い出すのかと思った。それは関西から転校して来たばかりの同級生だった。この「微笑がえし大阪説」には全員が真っ向から否定をしたが、関西から来た彼は一歩も譲らなかった。全員の主張の根拠が、いずれも当人の個人史だけである。

この状況は、昔話を聴かされている状況と似ている。「海辺で亀を助けました」と大勢に語りかけたなら、それを聴く者たちの思い描く「海辺」はマチマチな筈で、全員がそれぞれ自分に馴染みのある「海辺」を思い起こす。その昔話を聴いている人数と同じ数の「海辺」のイメージが現れている可能性もある。それほど舞台設定のイメージがバラバラでも、昔話は成立してしまう。日本のあちらこちらに浦島伝説や似たような昔話が残っていることを考えると、海辺でさえあれば、舞台はどこであっても構わないことになる。具体的な場所を特定出来ない曖昧な表現だから、聴く者がそれぞれに自分の身近な場所での出来事として受け止めて構わない。しかしその結果として、物語が大勢で共有出来るものになっている。

同じことが歌詞にも当てはまるなら、『微笑がえし』を聴いて「これは大阪やねん」と思ったところで一向に構わない。構わないのだけれど、この点を対象にして討論なんかするからロクでもないことになる。歌われている場所を詮索して討論を始めたならば、行き着く先は「作詞した人に訊いてみようじゃないか」と云う迷惑な意見の一致だ。「アパートの何階から引っ越すのですか」「一軒家ですよね」「それは大阪ですか」などと書かれた手紙が阿木燿子さんのところへ殺到してしまう。思いとどまったほうが好い。歌詞を聴く者にとって、歌われている場所は自分の場所である。極めて個人的な心象の反映だ。原稿書きがイヤになった逃避願望は、自分の気分を「雨のエア・ポート」に連れ出そうとする。自分にとっては確かに羽田空港が身近なのだけれど、しかしこの曲は、逃げる先についてまでは歌ってくれない。逃げ切れないことだけは明らかなのだった。

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