Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

半村良さんのSF ―アルマイトの栞 vol.81

2002年に68歳で亡くなった作家の半村良さんに関わる仕事が舞い込んだ。舞い込んだのは好いのだが、半村作品は小学生の頃に『戦国自衛隊』を読んだだけである。それはいくらなんでもマズイ気がした。「半村良」と云えば「伝奇SFのジャンルを確立した作家」と、文学史めいた答えは出て来るものの、自分でも不思議なことに殆ど読まなかった。それでともかく手始めに、'74年発表の『不可触領域』を買って読んだ。「この時代の香りはなんだ」と思ったのが第一印象である。恋人同士が乗っている車はシボレーで、山道をドライブすればたいてい霧が出て、迷子の先は必ず異界だ。極めて'70年代の香りがする日本SFだった。

今回の仕事を一緒にする映像作家のOさんも同じ印象を持ったらしい。Oさんは「子どもの時に最初に読破した長編小説は小松左京の『日本沈没』です」と云う人だが、Oさんも何故か半村作品は『戦国自衛隊』を除いて読んでいなかったそうで、「取り敢えず『不可触領域』から読みましょう」と提案してくれたのも彼である。お互いに読み終わった頃に顔を合わせて話をしたら、二人とも「昔のウルトラシリーズとか、円谷プロの作品を思い出した」と感想が一致した。『怪奇大作戦』あたりを思い出したわけで、それはつまり、怪獣とか宇宙人の類が出てくるわけではなく、あくまで人間と科学の関わり合いをモチーフにしたSFとしての類似である。とくに、そのモチーフを用いて「現代社会に警鐘を鳴らす」点で共通している。

『不可触領域』を読み始めた当初は、冒頭にも書いたように、物語の舞台設定や登場する小道具が「'70年代の香り」の原因ではないかと思った。主人公の男はインテリアデザイナーで、愛車がシボレーと云う設定で笑いそうになった。その恋人の服装が「ヒップボーンのスラックスにうすい長袖の丸首シャツ」「白いカーディガンを袖を通さずに羽織り」となると、アタマの中にはかすれ傷のある旧いカラー映像が浮かんでしまう。そして、主人公の知人がポケットから取り出す煙草の銘柄は「いこい」だ。これでもかと云わんばかりの1970年代的ガジェットが目白押しである。

しかし、『不可触領域』に漂う「'70年代的な香り」の本質は、むしろ物語のモチーフにあるのかも知れない。急激にモノが溢れかえっていく社会に対して憂いを感じる一部の人々が、社会の在り方を正そうと考え、密かに開発されていた科学技術を用いて行動を起こすが、その行動自体も狂信的な危険を伴うと云う矛盾を孕んだ物語である。小説に限らず、「SF」を手段にして社会に警鐘を鳴らすこの種の作品が、今にして思えば'70年代あたりまでの日本には極めて多かった気がする。それを「牧歌的」の一語で片付けるのは簡単だが、様々に視点を変えれば必ずしも「色褪せた」とは云い切れないのも事実である。人間と科学技術の関わり合い方に思いを巡らせるならば、2010年の現在に当てはめて『不可触領域』を読むことも充分に可能だ。

そう考えると、『不可触領域』などの半村作品を、現在の十代読者層を狙って再展開してみることも検討に値するように思う。自分がこの季節に読んだからかも知れないが、なんだか「夏休みの読書」の気分になったのである。今の中学生くらいの世代に読ませたらどんな感想が戻ってくるのか、知りたいところである。ただ、そうなると、かなりの量の註釈を巻末に付ける作業を誰かがやらないといけない。「和服のたもとからピースの缶をとり出し」は意味が解らないのではないか。たとえ隠れて煙草を吸っている中学生であるにせよ、今どきカバンの中に缶ピースをしまい込んでいるような十代が居たら、それこそタイムスリップを疑ってみる必要がある。

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