Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

「LJ」な仕事 ―アルマイトの栞 vol.79

舞台照明を頼まれたシャンソンのコンサートは見事なまでにぶっつけ本番の照明だった。本番一週間前のリハーサルは「リハーサル」と呼ぶのも憚られるもので、結局は本番当日の、これまた中途半端なリハーサルで照明を考えた。いや、「考えた」と表現することすら疑わしい。まちまちな衣装を着た三十数名が出演順に舞台上で唄うことじたいはリハとして当然だが、本番の開場時間を考えると全員が持ち歌をフルコーラスで唄う時間は無い。歌詞が3番まであろうとリハでは1番だけ唄って終わりである。一人の持ち時間はせいぜい1分強だったろうか。その1分間でそれぞれの曲の照明パターンを即興で作った。まるでイメージ心理テストである。

事前に渡された楽曲リストのタイトルと歌詞をヒントにして照明を決めるつもりだった。楽曲が『さくらんぼの実る頃』だったら「さくらんぼ」みたいな色の照明で舞台を染めようと安易に考えていたのだ。この安易な自分の発想が「1分間心理テスト」の難易度を上げてしまった。前奏と同時に舞台ソデから登場する歌い手が、既に「さくらんぼ」色の衣装だったりするのだ。そうなると照明も「さくらんぼ」色ではマズイことになる。赤いモノに赤い光を当てるとモノの色が判らなくなる。何色の場合でも同じことだ。「さくらんぼ」から連想する別のモノの色を瞬時に思い浮かべて照明の色を作った。調光室内で一人「さくらんぼと云ったら青葉」みたいなことをやりはじめたのだ。『マジカルバナナ』をやりに来たつもりはない。そのうえ、前後する曲で同じような照明パターンを繰り返すことは避けようと思ったばかりに、連想ゲームの難易度が高くなっていく。リハーサルの終盤、最後から二曲目あたりで連想のネタが尽きそうになった。『めぐり逢うために』って何色なんですかね。こちらにはまるで時間の余裕を与えてもらえずにリハーサルは終わってしまった。

そんな慌ただしい状況だったから、一つ一つの照明パターンを「シーンメモリーにセットする」なんて悠長なマネは無理である。そうなると当然、リハで作った即興の照明パターンを本番では全て手作業で再現しなければならない。楽曲毎の照明は、リハの時にフェーダの位置をメモ書きしたが、では次の曲の照明にどのようにチェンジしていくのか、そこまではリハで考えていない。本番中に考えるしかないではないか。本番では、舞台で進行している曲を聴きつつ、次の曲の照明パターンに変化させるためのフェーダの操作順序を考えていた。数多のフェーダを同時に上げ下げしようと考えると指が届かないことに気付く。効果的に見える調光の順序を数十秒以内で考えるしかない。心理テストの次が知能テストになっている。そして、開演した本番の舞台は待ってくれない。たった一人の調光室で、尋常ではないライブ感の中に放り込まれた。

「DJみたいなことになってはいないか」と、本番中にふと思った。ヘッドセットなんかを装着していたからそんなことを思ったのかもしれない。舞台ソデに配置した助っ人スタッフとの通話用にマイク付きヘッドフォンをしていたのだが、会場から借りたそいつは笑ってしまうほど旧型で、装着した姿は昔の電話交換手か'80年代のテクノバンドである。この大仰な小道具に加えて、アナログ調光卓の目まぐるしいフェーダ操作が気分を「DJ」にしたらしい。映像を操作していれば「VJ」と呼ばれるわけだが、照明の場合はどうなのだろうか。「ライティング・ジョッキー」。聞いたことがない。しかし、この切羽詰まった綱渡りの照明オペレーションは、担当する者の味わうライブ感の点ではDJやVJに劣らない。「エル・ジェー【LJ】:ライティング・ジョッキーの略。しばしば、準備不足の舞台公演で慌ただしい照明操作をすること(人)」。カッコイイのか、それは。「オレ明日、代官山でLJなんだよね」。

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